よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「左母(さも)やん、お帰り。今、船虫に万書堂で盗み聞きしたことを話してたとこや」
 並四郎が言うと、船虫が、
「世直し大明神が町奉行だったなんて……ひどい話だねえ。まっ昼間に町なかで刀を振り回しても咎(とが)められないわけだ。これじゃあやりたい放題じゃないか。あたしゃ、もうなにもかも嫌になってきたよ」
「まだまだ嫌になる話を持ってきてやったぜ」
 左母二郎は酒を数杯立て続けに飲んでから、文亀堂(ぶんきどう)でのできごとを話した。並四郎が、
「やっぱりしびれ薬入りの饅頭(まんじゅう)を差し入れよったか。相撲という神事を金儲(かねもう)けの道具にしよう、というやつは考えることがちがうで。わて、借金したおして、その金を鎧竜に賭けよかと思とったけどやめや。今度の相撲で儲けるのは恥や!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。その駿河って用心棒、右目に眼帯してたんだろ? そいつ、お実乃(みの)ちゃんに手裏剣投げつけて怪我(けが)させたやつだよ。あたしも斬られかけたんだ。駿河だけは許せないよ! ――駿河は強いのかい」
「――強え」
 左母二郎はぼそりと言うと、肘を枕に寝そべった。そのうち、昼間の疲れが襲ってきて、飯も食べずに寝てしまった。
 翌日、大晦日(おおみそか)を明日に控えた大坂の町は、掛け取りでごった返していた。ここさえ乗り切れれば春までは安泰だ、という取る側、取られる側の思惑が交錯するなかを、丁稚(でっち)や手代、番頭が目の色変えて駆けまわっている。そういう狂騒とは縁のない左母二郎が、昼過ぎ、酒魂(さかたま)神社を訪れると、宮司(ぐうじ)は社務所のまえの床几(しょうぎ)に腰かけて、ブリの刺身で燗酒(かんざけ)を飲んでいた。
「いいのかよ、昼間っから」
「祝杯じゃ。ふぉっふぉっふぉっ……笑いがとまらぬのじゃ」
「どういうこった」
「前売りの木戸札はみな売り切れた。満員札止めじゃ。賭け札もどんどん売れておる。賭け札を買うにはうちの神社の護符も一緒に買わねばならぬ、と言うてみたら、それでも飛ぶように売れる。皆、博打(ばくち)が好きじゃのう」
「御籤(みくじ)というのも博打みてえなもんだからな」
「あれは、当たろうが外れようがなにももらえぬ。つまらぬもんじゃ。おかげでふところが温かくなった。祝杯をあげずにはおれぬわい。あんたも飲め」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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