よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「いや、すぐに済むから、上がり込むほどでもねえんだ」
 ふたりは店から出ていった。四半刻(しはんとき)ほどののちに金兵衛がひとりで戻ってきた。鎧竜が、
「内緒ごとというのはなんじゃった?」
「はははは……おまえに言うてしもうたら内緒ごとにならんがな」
「そりゃそうじゃ」
 鎧竜も屈託なく笑った。金兵衛が、
「今日はささやかながら尾頭付きを支度してある。たんと食うて精をつけ、明日に備えてくれ」
「わかった。おとう、ありがとう」
「明日は優勝祝いの膳が出せるように、気張ってくれよ」
「うむ、わしもおとうに恩返しできるようにがんばるわい。勝つか負けるかわからぬが、一世一代の相撲を取りたいと思うとる」
「その覚悟や。――さ、飯にしよか」
 ふたりは奥に入ると、夕食を取り始めた。大根の漬けものと豆腐の味噌汁(みそしる)のほかに、小さな鯛(たい)がついている。
「おとうの鯛はどうしたのじゃ」
「明日の主役はおまえや。おまえのところに付いとりゃええのや」
「それはいかん。ならば半分こしよう」
「あははは……そんな小さい鯛、半分こしたらのうなってしまう。ええから全部食べなさい」
「そうか……。まあ、優勝したら金も入る。そうなったら鯛ぐらいなんぼうでも買える。ああ、優勝したいのう」
「欲をかくと負ける。無心でいけ」
「わかった。無心じゃな」
 ふたりはしばらく無言で食事をしていたが、金兵衛が急に、
「あのな、大作(だいさく)よ。話がある」
「なんじゃい、改まって……」
「万書堂のことや。明日はなにが起きるかわからぬ。けど、なにごとがあろうとそれは全部些事(さじ)やと思て、相撲にだけ専念しなされ。わかったか」
「わかっとるわい」
「たとえわしの身になにかがあっても、やぞ」
「おとう、縁起でもない。なにも起こらぬわい。起こるとしたらわしの身じゃ。あの駿河という用心棒やヤクザものが襲ってくるかもしれぬが、そんな連中はかたっぱしからほいほい片づけて、わしは鮫ケ海関との勝負のことだけを考える」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number