よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

 そのうえ力士の数は五人ずつ、あわせて十人だから、二回戦と三回戦ではかならず不戦勝がひとり出る。それは東の大関鮫ケ海ということに決められているのだそうだ。つまり、一回戦で鮫ケ海がもし勝てば、そして、鎧竜が順調に最後まで勝ち上がれば、かならず最後にふたりの取り組みが行われることになるわけだ。
「ふーん、なるほど。うめえ具合に考えてあるもんだな」
「鮫ケ海が初戦で負ける、ということはまずあるまいて。ただ、鎧竜はなんというても素人(しろうと)。何番も取っているうちになにかの拍子に負けぬとはかぎらぬ。それに、鎧竜が最後まで上がってくるには三番をこなさねばならぬ。鮫ケ海は最初の一番だけじゃ。疲れを考えると、鎧竜が不利じゃのう」
 左母二郎が考えていたのは別のことだった。
(あいつら……鮫ケ海がいねえってことをいつまで隠し通すつもりなんだ……)

「それでは、おまえは萩から来た相撲取り鮫ケ海だ、と言うのか!」
 天満(てんま)の牢(ろう)の吟味場で、滝沢鬼右衛門(たきざわおにえもん)は先日召し捕った挙動不審な男を怒鳴りつけた。
「へ、へえ……今、それを思い出しましたわい」
「今思い出しただと? どういうことだ」
「あの……わしはどこか高いところから落ちて頭を打ち、まえのことをなにもかも忘れてしもうていたようでございます。おのれの名前も、どこから来て、どこに行かねばならぬのかも……。だれか医者らしいお方に療治してもろうてたような気もいたしますが……」
「おまえは大坂の町をうろうろさまようておったゆえ、わしが召し捕ったのだ」
「そうでございましたか……。いや、こうしてはおれぬ。早(はよ)うお布施の縄田屋の旦那さまにご挨拶をして、相撲興行のために仲間と稽古をせにゃあならぬ」
「稽古だと? 今日がその興行の日だぞ」
「えっ……!」
 鮫ケ海は仰天した顔つきで、
「それはえらいことじゃ。堀江(ほりえ)の神社に行かねばならぬ。すまぬが、お役人さま、わしをここから出してくだされ」
「それはよいが……その怪我ではとても相撲は取れんぞ」
「わかっております。じゃが、わしがおらぬと興行が成り立たぬ。旦那衆やお客さまにも迷惑がかかる。せめて、土俵入りの真似事(まねごと)だけでも相務め、できうればたとえ負けるのがわかっていても一番ぐらいは相撲を取らせてもらいたいのじゃ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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