よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「ええぞっええぞっ鎧竜!」
「くそーっ、鮒ケ池、負けたかーっ」
 紙屑(かみくず)になった賭け札があちらこちらで撒(ま)かれている。第四番、鰻川に錦ノ明は鰻川の勝ち、第五番、泥鰌湖に錦ノ袈裟は泥鰌湖の勝ち。一回戦が終わった段階で、大坂力士で残っているのは素人の鎧竜だけ、という体たらくになってしまった。
「情けないわい……」
 へろ錦は涙をこぼし、
「鎧竜関、勝ち上がってわしらの悔しさを晴らしてくだされ」
「もちろんそのつもりじゃ」
 鎧竜は強く胸を叩いた。ふたたび籖引きがあり、二回戦は蛙ケ沼には鎧竜、鰻川には泥鰌湖の二番が行われ、鮫ケ海は不戦勝ということになった。鎧竜は蛙ケ沼の突進をしっかり受け止め、そのまま一気にまえに出て、寄り切りの勝ち。圧勝である。鰻川と泥鰌湖の戦いは、ぬるぬるとなかなか決着がつかなかったが、最後はうっちゃりで鰻川が勝利した。
 三回戦は、鎧竜と鰻川の対戦になり、鮫ケ海は不戦勝である。鎧竜が葭簀の外で四股を踏み、気合いを入れているところへひとりのこどもが近づいてきた。文亀堂の丁稚である。丁稚が鎧竜になにごとかささやくと、鎧竜は真っ青になり、よろよろとその場から立ち去った。そして、ぼんやりした状態で土俵に上がった。行司が、
「ちゃんと仕切りなされ」
「す、すまぬ……」
 軍配が返ったが、鎧竜はそのまま立ち尽くしている。鰻川がぶつかってきたが、心ここにあらずという顔つきで動こうとしない。
「はっけよーい!」
 行司はしきりに気合いをかけようとする。
(しめた……!)
 鰻川は強引に首投げにいった。しかし、鎧竜はぼんやりしたまま鰻川のまわしを摑(つか)み、引き落とした。鰻川は顔から土俵に突っ込んだ。客たちも鎧竜の様子がおかしいのがわかったようだ。
「どうした、鎧竜!」
「しっかりせえ!」
「おまえになんぼ賭けてると思とんねん!」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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