よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

 鎧竜はよたよたと土俵を下りた。そして、その足で左母二郎たちのいる桟敷に向かった。
「なんだよ、今の無様な相撲は。勝ったはいいが、危うく負けるところだったじゃねえか」
「それが……えらいことになったのじゃ。さっき、うちの丁稚が報せにきたのじゃが……うちのおとうが家を出ると、ふたりの侍がやってきておとうを無理矢理駕籠に押し込め、そのままどこかに行ってしもうたらしい。そのあと、こんな文が投げ込まれていたそうじゃ」
 そう言って、鎧竜は一枚の紙を左母二郎と宮司に見せた。そこには、

 金兵衛の命助けたくば相撲に負けよ

 と書かれていた。左母二郎は、
「つぎからつぎへと汚(きたね)え真似をしやがるもんだぜ。おめえが孝行もんだから、親父を殺すと脅しゃ言うことを聞くと思ったんだな」
「ううう……どうすればよいじゃろう。わしが勝てばおとうが殺される。わしが負ければ大勢の大坂の衆が悲しむことになる」
 左母二郎はにやりと笑って、
「心配いらねえから、最後の一番、思い切り取ってこい」
「けど、そんなことをしたらおとうが……」
「あれは金兵衛じゃねえんだ」
「――え?」
「昨日の晩、俺が金兵衛を連れ出しただろ? そのとき、俺の仲間の並四郎ってやつと入れ替わったんだ」
「そんなはずはない。顔も声も背恰好(せかっこう)もおとうそのままだったし、わしは一緒に飯を食いながら話もしたのじゃ」
「並四郎ってのはそういうやつなんだよ。なんにでも化けちまうのさ。俺やおめえにも化けられるぜ」
「では、本もののおとうは……」
「今、馬加大記(ばかだいき)って医者の家に匿(かくま)ってあらあ。結びの一番には間に合うように船虫が連れてくる手はずになってるんだが……ああ、あそこを見ろよ」
 左母二郎は砂被りのところにひとり分だけ空いていた席を指差した。そこには金兵衛が座り、こちらに向かって両手で大きな〇をこしらえた。
「これでおめえも心置きなく相撲が取れるな」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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