よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「へえ……なにからなにまで網乾どんにはお世話になりました。じゃが、だとするとその並四郎というお方が危ないのでは……」
「並四郎は、名前は言えねえが、世間に知られた大盗人(おおぬすっと)だ。ちっとやそっとのことじゃ殺されるようなことはねえから安心しな。たぶんどこかで相撲を見物してらあね」
「そ、そうか……」
 そのとき、宮司のすぐまえの席に座っていた老人が振り返り、
「左母やん、わてやったら、とうの昔からここにおるで」
「なんでえ、いたのか」
「駕籠に入れられて、万書堂に連れていかれたさかい、屋根から逃げてきた」
 左母二郎は鎧竜に笑いかけながら、
「な?」
 と言った。鎧竜は、
「これで力百倍じゃ。最後の一番、どうぞご覧になってくださいまし」
 そう言って大笑いした。
 一方、簾内のなかの万書堂卯左衛門と中山出雲守は、
「どういうことだ。さっきの相撲のときは調子が悪そうだったが、鎧竜、今は笑(わろ)うておるではないか」
「おかしいなあ……金兵衛をかどわかした、という話は耳に入ってるはずだすけど……」
「お、おい、あそこを見ろ。金兵衛だ!」
「えっ、どこだす?」
「土俵のすぐ下だ。こっちを見て手を振っておるぞ!」
「ど、どないしまひょ。だれぞが助け出したんやろか」
「こうなったらどうにもできぬ。鮫ケ海が勝つことを祈るしかない」
「もし、負けたら……」
「おまえをこの場で叩き斬ってやる」
「ひいーっ」
 とうとう最後の取り組みのときが来た。これに勝ったものが優勝である。それまで騒々しかった客たちも、ぴたりと口を閉ざし、おのれの賭け札を握りしめて土俵を凝視している。呼び出しが、
「東、鮫ケ海、鮫ケ海。西、鎧竜、鎧竜……さあ、見合って見合って」
 小文吾と鎧竜は土俵に片方の手を突いた。小文吾が小声で、
「おまえさまは相撲にかこつけてひとを傷つけたり、殺(あや)めたりするらしいのう。今日はわしが勝つ。おまえさまに恨みはないが、大坂の衆のためじゃ。悪う思うな」
「だれがそんなことを言うたのじゃ。わしは相撲でひとを傷つけたり殺めたりした覚えはない。よう確かめたのか?」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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