よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「言い逃れするつもりか。卑怯(ひきょう)な……」
「言い逃れではない。確かめもせずにひとの言うことを鵜呑(うの)みにするのはおかしい、と言うておる」
 ふたりはたがいにつぶやきながら呼吸を測っていたが、やがて、軍配が返り、両者は激突した。どごん! と鉄と鉄がぶつかり合ったような音がした。鎧竜の猛烈なぶちかましを小文吾はがっしりと受け止めたが、足がずるずると土俵にめり込むような形で下がった。
「なんの!」
 小文吾はすばやく前褌(まえみつ)を取ると一気に寄っていった。しかし、鎧竜はびくとも動かぬ。それを見て小文吾は一旦摑んだ前褌を放し、怒濤(どとう)の突っ張りを開始した。負けじと鎧竜も突っ張る。一撃で岩を砕き、大木をへし折るほどの突っ張りの応酬に、客たちは手に汗握っている。どしどしどし、どしどしどし、という重い杵(きね)で餅を搗(つ)いているかのような音が場内にこだまする。両手の回転があまりに速く目に見えないほどだ。普通の力士なら次第に疲れてくるところだが、ふたりの突っ張りは逆にどんどん速さを増していくようだ。胸板が真っ赤になったころ、
「突っ張りでは勝負はつかぬのう」
「よし、組み打ちで来い!」
 ふたりは四つに組んだ。まずは小文吾が金剛力(こんごうりき)を発揮し、鎧竜を吊(つ)り上げようとした。鎧竜は必死でこらえるが、ついに足が土俵を離れた。
「あっ、あかん! 鎧竜、がんばれえっ!」
「鮫ケ海、今や、一気に行けっ」
 しかし、鎧竜は両腕で小文吾の腕を締め上げた。小文吾が耐えきれずに鎧竜を下ろすと、今度は鎧竜が小文吾を吊り上げた。鎧竜は小文吾をそのまま土俵の外まで持っていこうとしたが、小文吾の足のかかとが俵にかかった。小文吾は踏ん張り、鎧竜を押し返した。なかなか勝負がつかない。
「こうなったら、この日のために鍛えた技じゃ! わっしの頭は鋼(はがね)より硬いわい」
 小文吾は鎧竜を突き離しておいてから、頭を下げて突進した。その凄(すさ)まじい勢いは猛牛のようだった。鎧竜は土俵の中央に巨木のようにそびえたち、両腕を高々と上げた。小文吾は鎧竜の胸板目掛けて頭突きを食らわした。小文吾はあれから廃寺の境内で杉の木に向かって頭突きの稽古を繰り返していたのだ。鐘に撞木(しゅもく)が当たったような、ごおーん……という鈍い音が鳴り響いた。並の力士ならばあばらが折れているだろう。鎧竜はずずずず……と後退したが、
「まだまだっ」
 そう叫ぶと、両手を開いた。胸にはどす黒い痕がついていた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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