よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

「万書堂さんのご主人に頼まれて名前を貸しただけで、ほんまはなにも知らんのだす。えーと、万書堂さんはどこかいな」
 しかたなく卯左衛門は手を挙げて、
「わてが万書堂だす。大坂のお奉行さまの許しも得たうえでのこの興行、なんぞ差しさわりがおましたかいな」
「結びの一番は鮫ケ海と鎧竜の取り組みだったな」
「へえ……」
「鮫ケ海というのはどこにおる」
 全身に大汗をかいている犬田小文吾が、
「わっしでございます」
「ほう……おまえが鮫ケ海か。ところが、ここにも鮫ケ海がおるぞ」
 そう言って、鬼右衛門が少し横にずれると、そこには本ものの鮫ケ海が立っていた。鮒ケ池たち萩の力士たちは、
「おお……鮫関! ご無事でなによりじゃ!」
 うっかりそう口走ってしまった。鮫ケ海は小文吾に向かって、
「わしがまことの鮫ケ海じゃ。おまえさんには一度会(お)うたことがあるような……」
 小文吾はからからと笑い、
「こうなっては隠し通すのは無理じゃな。いかにもわっしは鮫ケ海にあらず。犬田小文吾という素人じゃ。世直し大明神という御仁から、鎧竜関の悪行の数々を聞いて義憤にかられ、身代わりに立ったのじゃ」
 鬼右衛門は、
「悪行の数々だと? わしの聞いておるかぎりでは、鎧竜はたいそうな親孝行もので評判もよい。今度の相撲でも、図抜けて人気を集めておるぞ」
 客たちは口々に、そうだそうだ、と叫んだ。文亀堂金兵衛が立ち上がり、
「わては鎧竜の父親(てておや)だす。すべてはそこにいる万書堂卯左衛門が金儲けのために仕組んだことだすのや。鎧竜にしびれ薬を飲ませようとしたり、わしをかどわかして鎧竜に負けるように指図したり……」
 卯左衛門は、
「し、知らん。わてはなんにも知らんのや。悪いのはわてやのうて、世直し大明神……」
 そう言いながら中山出雲守の座席を見やると、そこにはだれもいなかった。
「そうか……おまえと世直し大明神がふたりがかりでわしをだましたんじゃな。この犬田小文吾、とんだ大恥をかくところだったわい」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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