よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

 並四郎も、
「一言言うてくれたらええのに」
「すまぬすまぬ。相撲のこととなると夢中になるからのう」
 三人が酒魂神社を出ようとしたとき、鳥居の柱の陰から現れた男がいた。駿河三郎太(さぶろうた)である。
「待っていたぞ」
 左母二郎が、
「刀は新調したのか」
 駿河は無言で鞘(さや)を叩いた。左母二郎は小文吾と並四郎に、
「こいつぁ俺が引き受ける。おめえたちは早く大明神を追いかけてくんねえ」
 ふたりはうなずいて駆け出した。左母二郎は腰を落とし、刀の柄(つか)に手をかけた。駿河は刀を抜いて大上段に構えた。
「行くぜ」
「おおっ」
 駿河が刀を振り下ろした瞬間、左母二郎の右腕が普段の倍ほどの長さに伸びたように見えた。駿河が刀を取り落とし、その二の腕から血が噴いていた。
「じゃあ、俺の勝ちってことで……」
 左母二郎はすたすたと歩み去ったが、その着物は肩から腰にかけて斜めに大きく裂けていた。

「急げ……急ぐのだ!」
 中山出雲守は駕籠を担ぐ飛車(ひしゃ)さんと歩兵(へこ)さんを叱咤(しった)した。
「そのように急(せ)かされましても、われら両名、駕籠をかくのは不慣れにて……」
 中山出雲守を乗せた駕籠は堀江から西横堀(にしよこぼり)沿いに北へ上がっていた。
「もし、あの与力に捕まったら、わしが大坂町奉行であることが露見してしまう。それだけは避けねばならぬのだ」
 大晦日の真昼間、ふたりの供侍は汗を垂らしながら必死で駕籠を担いでいる。
「もっと速うはできぬのか、非力なやつらだ」
「そうおっしゃられても……」
「いかん。肩が……肩が……」
「拙者も腰が……」
 駕籠の歩みが次第にのろくなってきたところで、
「やっと追いついたのう」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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