よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」5

田中啓文Hirofumi Tanaka

 一同はぎょっとして振り返ると、小文吾が後棒の歩兵さんの腰を後ろから摑んでいるのだ。しかたなく飛車さん、歩兵さんが駕籠を下ろすと小文吾は駕籠の垂れをはねあげ、
「世直し大明神……ようもこのわっしをたばかってくれたな」
 小文吾はぶるぶると震えている中山出雲守の胸倉を摑んで駕籠から引きずり出した。
「なにをする! やめぬか!」
 並四郎が、
「わてもたいがい悪党やけどな、あはははは……おまえには負けるわ」
「うるさい! 飛車さん、歩兵さん、こやつらをこらしめてやりなさい!」
 しかし、家来たちは動こうとしない。
「なにをしておる。こらしめてやれ、と言うておるだろう!」
「大明神さま、この犬田というやつの強さをご存じでしょう。とてもとても我々では歯が立ちません」
「こんなやつに立ち向かったら、頭から食われてしまいます。どうかご勘弁を……」
「腰抜けめ!」
 小文吾が指の関節をばきばき鳴らしながら近づいていく。中山はくるりと向きを変え、逃げ出そうとした。しかし、そこにはひとりの浪人が立っていた。
「だれだ、貴様は」
「さもしい浪人、網乾左母二郎」
「貴様が網乾か。そこをどけ!」
「みんなから集めた金はどこだ」
「ふふふ……はははは……金はない。かねてより手配してあった別便で江戸に送ってしまったわい。金欲しさに追ってきたのだろうが、残念だったのう」
「金欲しさ、だと?」
 左母二郎の目が憤怒(ふんぬ)で吊り上がった。
「てめえみてえな汚え野郎見たことねえ」
「なんとでも言え。わしほどこの国の将来を真剣に憂いているものはおらぬ。わしは、集めた金をおのれのふところに入れるつもりはない。この国を清浄にするための金なのだ。貴様ら悪党にわしの思いはわからぬだろうな」
「わからねえし、わかりたくもねえ。てめえが言ってる世直してえのは、万人のためじゃねえ。てめえにとって都合のいい連中だけの世の中にするってだけだ。この世にゃオギャーと生まれてきたのは同じでも、金持ちに生まれたものもいりゃあ、貧乏人に生まれたものもいる。生きるために掏摸(ちぼ)を働かなきゃならねえこどもだっている。みんな必死なんだよ。てめえは、この世に雑草はいらねえと思ってるかもしれねえが、雑草だって桜だっておんなじだ。てめえのやり方は、雑草を全部抜いちまって、見た目をきれいにしようってだけさ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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