よみもの・連載

お料理レシピで謎解きを

第七回 熟していないジャムを煮る

友井 羊Hitsuji Tomoi

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 まるおかベーカリーが入居するビルは、どこにも明かりが点いていなかった。
 駐車場に車を駐めると、一階部分がヘッドライトで照らされた。シャッターに書かれたまるおかベーカリーという文字は日に焼け、印刷が剥がれかけている。
 シャッターに紙が貼ってあり、私たちは車から降りて近づく。『機材不調のためしばらく休業します』とサインペンで書かれていた。私が昨日パンを買ったときも、店主はオーブンの調子が悪いとぼやいていた。
 隣の店舗にもシャッターが下りている。三年くらい前まで鰻屋が営業していたが、ビルの老朽化と店主の年齢を理由に店を閉めている。それ以来ずっと空き店舗のままだ。
 結の推理によれば、千秋は近くにいるはずだ。私はビルの裏手に走る。コンクリートの地面には雑草が伸び放題で、ひび割れが多かった。
 まるおかベーカリーの裏口は施錠されている。隣の空き店舗の勝手口のドアノブを回すが、こちらも鍵がかかっていた。
「千秋ちゃん!」
 結が叫び声を上げた。結はガラス窓を覗き込み、スマホの懐中電灯で奥を照らしている。窓を開けようとしたが、鍵がかかっているようだった。
 隣に立って息を呑(の)む。暗闇の先に、倒れている子供らしき足が見えたのだ。履いている靴に見覚えがある。背後で母さんが千秋の名を呼んだ。
「どこかに入り口があるはず――」
 結が周囲を探る横で、私は足元のコンクリート片を拾った。そして目の前の窓ガラスに思いきり投げつける。
 甲高い音と共にガラスが砕け、結が短い悲鳴を上げた。
 手を伸ばしてクレセント錠を開けた。窓を全開にしてから、窓枠に手をかけて一気によじ登る。飛び降りると足元でガラスの割れる音がした。
「千秋!」
 鰻屋時代の品書きが床に落ち、椅子が転がっていた。避けながら駆け寄ると、倒れていたのは間違いなく千秋だった。窓の外から街灯の光が射し込み、廃墟同然の部屋は白い明かりで照らされている。
 千秋は目を閉じている。抱き起こすと、口元から呼吸音が聞こえた。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
 頬を叩いた私は、自分の手の甲から血が出ていることに気づいた。窓の鍵を開けたときか、よじ登ったときにガラスで切ったのだろう。だが今はどうでもいい。私は身体を揺らして呼びかけた。
「ほら、目を覚ませ」
 千秋が身動ぎし、ゆっくり目を開けた。
「……お姉ちゃん?」
 直後に千秋が咳(せ)き込んだ。背後から結と母さんが走り寄ってくる。母さんが名前を連呼しながら駆け寄り、千秋を力いっぱい抱きしめた。
「どうしてお母さんたちが……?」
 ぼーっとしているが、意識はあるようだ。病院に連れて行くべきだと思うが、まずは安堵(あんど)のため息が出る。
 結が私の隣に立ち、手の甲にハンカチを当てた。そこでようやく鋭い痛みを感じる。興奮していたせいか全く気にならなかった。
「ありがとう。結のおかげだ」
「本当に良かった。でも夏希ちゃんも早く診(み)てもらわないと」
「私なら大丈夫だよ」
 本音を言うと、徐々に痛みが増してきている。だけどこの程度の怪我(けが)なんて、きっとすぐに治るはずだ。母さんは千秋を抱きしめている。結は自分が怪我をしたみたいに泣きそうな顔で、私の手の傷口にハンカチを押し当て続けていた。

プロフィール

友井 羊(ともい・ひつじ) 1981年群馬県生まれ。2011年『僕はお父さんを訴えます』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し、12年に小説家としてデビュー。他の著書に『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』『無実の君が裁かれる理由』「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」シリーズなどがある。

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