よみもの・連載

お料理レシピで謎解きを

第七回 熟していないジャムを煮る

友井 羊Hitsuji Tomoi

 荒れ果てたビルの一室に足を踏み入れた千秋は、この場所を秘密基地にすることに決めた。簡単な掃除をしてあたりを片付けたが、建物に勝手に入るのは犯罪だとわかっていた。そのためしばらくは一人だけの秘密にし、大丈夫そうなら絢と鈴音に打ち明けるつもりでいたという。
 けれど一ヶ月前、千秋は絢たちと喧嘩した。
 喧嘩のことを、千秋は母さんに話せないでいた。それは私の予想通り、二度と失言で誰かを傷つけないという約束を破ったためだ。千秋は母さんにがっかりされるのが怖かったのだ。
 千秋は今までと変わらずに絢たちと遊んでいるふりをした。その間、隠れ家で時間を潰すようになった。
 まるおかベーカリーは一日に何度もパンを焼く。そのため焼き上がりの香ばしさが隣の空き店舗まで伝わった。匂いでお腹が空くとは好きな店のパンのことだったのだ。
「まるおかベーカリーの匂いが隣の空き店舗に届いたのは、ビルの老朽化も原因だったらしいな。排気口が破損していて、排出した空気が隣に溜まったんだ」
「そうだったんだね」
 母さんがビルの所有者と話をした際に聞いた情報だ。
「ビルは近いうちに取り壊す予定だったらしい。だから排気設備の故障や、通用口の鍵の破損も放置されていたんだ」
 ビルと同様、まるおかベーカリーの厨房設備も老朽化が進んでいた。長年酷使したガスオーブンは故障を繰り返していた。型が古すぎてメーカー修理もできない。店主は独力で直し続けたが、それももう限界を越えつつあって、営業ができなくなる日が増えていた。
 千秋が行方不明になった日も、朝からガスオーブンが不調だった。修理して昼過ぎに試運転をしたが、不完全燃焼を起こしてしまったらしい。店主は危険と判断し、すぐにオーブンの使用を取り止めた。
 不完全燃焼を起こす際、人体に有害な一酸化炭素が発生する。そのため店主は換気扇を稼働させていた。だが排気口の破損のせいで、発生した一酸化炭素が隣の空き店舗に流入したのだと思われた。
 千秋は英会話塾が終わった後、隠れ家で時間を潰していた。
 一酸化炭素は頭痛や眩暈(めまい)を引き起こし、子供だと少量でも意識を失わせてしまう。何度も死亡事故を起こしている危険なガスなのだ。店主は不完全燃焼に気づいた直後にオーブンを止めたが、流入した一酸化炭素によって千秋は意識を失ってしまったらしい。
「千秋が無事で何よりだよ」
 私は強く目を閉じる。もう少し一酸化炭素濃度が濃ければ、命の危険さえあったのだ。軽い症状で済み、後遺症もなかったのは幸運としか言いようがない。
 危うく死亡する可能性もあったし、ビルに勝手に侵入するのは犯罪だ。母さんは理由を説明した上で、千秋を厳しく叱りつけた。千秋も自らの行動を反省し、二度としないと約束してくれた。

プロフィール

友井 羊(ともい・ひつじ) 1981年群馬県生まれ。2011年『僕はお父さんを訴えます』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し、12年に小説家としてデビュー。他の著書に『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』『無実の君が裁かれる理由』「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」シリーズなどがある。

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