第七回 熟していないジャムを煮る
友井 羊Hitsuji Tomoi
授業が始まる時間が近づき、教室に人の数が増えていた。騒がしいなか私は結に質問した。
「千秋の居場所に気づいた理由、もう一度教えてくれないか」
まるおかベーカリーに向かう車中で推理の過程は聞かされた。だけど私は気が急(せ)いていて、全く頭に入らなかったのだ。
「えっと、牛肉と果物かな」
「そんなこと言っていたな」
結がそのときと同じ説明を丁寧に繰り返してくれる。
千秋は先週の日曜、エコバッグを中身ごと忘れた。置き場所は予想通り、隠れ家だったという。そして慌てて取りに戻って母さんに渡すと、牛肉は普段より色鮮やかだった。その原因は、まるおかベーカリーの機材の不調にあったというのだ。
「牛肉にはミオグロビンという成分が入っているの。それは一酸化炭素と結合することで、黒ずんだ赤身肉を鮮やかな色に変える作用があるんだ。赤身のマグロなんかも一酸化炭素処理をして、綺麗な赤色にすることがあったらしいよ」
「新鮮に見せかけるわけか。騙(だま)されている気がするな」
「悪くなったマグロでも、処理をすれば新鮮に見えちゃうんだ。そのせいで食中毒の危険があるから法律で禁止されているみたいだね」
結の推測では千秋がエコバッグを忘れたときも、まるおかベーカリーはオーブンを稼働させていた。だが不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生してしまったのだ。
店主はすぐにオーブンを停止させた。だが牛肉は一酸化炭素の影響を受け、鮮やかな赤色に変化することになる。千秋は買い物帰り、一度転んだらしい。そこで牛肉を包装するラップが破け、外気に触れるようになっていたのだ。
千秋が戻った時点で、一酸化炭素は安全な濃度まで下がっていた。そのため千秋は無事だったのだ。
また千秋は好物であるパンの匂いを強く感じる部屋にいつも座っていた。そこはまるおかベーカリーの排気がより多く流入する場所だったのだ。
「もう一つは果物の熟す早さかな」
「最初にエチレンガスと予想して、結局フルーツの辻口は間違いだったよな」
「エチレンガスが関係していたのは合っていたの。だけど発生源は別だった。実は石油系燃料を燃やす際にもエチレンガスは発生するんだ」
「そうなのか?」
灯油やガスなど、化石由来の燃料を燃やしてもエチレンガスが出るらしい。灯油ストーブを燃やす場所では、周囲の植物が早く枯れることがあるという。大昔に存在したガス灯でも、近くの街路樹の葉が早く散ってしまうなどの現象が起きていたらしい。
おそらくパンを焼く際にもエチレンガスは発生していた。そのため千秋が一晩放置した果物が、早く熟す結果になったのだろう。ただし燃焼で発生するエチレンガスの量は微量なため、熟す早さが増したのは気温の影響も大きいと思われた。
- プロフィール
-
友井 羊(ともい・ひつじ) 1981年群馬県生まれ。2011年『僕はお父さんを訴えます』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し、12年に小説家としてデビュー。他の著書に『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』『無実の君が裁かれる理由』「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」シリーズなどがある。