連載
「まぼろしの維新」
第二章 恩讐の道程 津本 陽 Yo Tsumoto
 日本国と欧米諸国の関税、治外法権などさまざまな一方的としかいいようのない不平等条約改正のため、航海訪問に出向く岩倉使節団が横浜を出発したのは、明治四年十一月十日であった。
 全権大使岩倉具視、副使木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳(外務少輔、肥前出身)と従う官員、各省理事官四十八人。使節に同行して欧米へ留学する学生、華族、士族ら五十四人、つぎに記す女学生五人もいた。
 東京府士族
  吉益正雄の娘       亮     十六歳(数え年・以下も)
 静岡県士族
  永井久太郎の養女    繁     十一歳
 東京府士族
  津田仙の娘         梅     九歳
 青森県士族
  山川與七郎の妹      捨松    十二歳
 東京府士族
  上田駿の娘        悌     十六歳
 彼女たちは十一月九日、皇后御所で激励のご沙汰書と緋縮緬の反物一匹とお菓子を下賜(かし)された。
 ちなみに、このうちの二人、吉益亮(子)と上田悌(子)は翌明治五年にはそれぞれ体調をこわして帰国するが、残りの三人はアメリカでの留学を続けた。
 永井繁(子)は、のちに海軍大将・瓜生外吉と結婚して女子高等師範学校と東京音楽学校の教員をつとめる。
 津田梅(子)は、のちに津田塾大学の前身となる女子英学塾を開くことになる。
 山川捨松は、旧会津藩の出身で、のちに陸軍元帥・大山巌と結婚して学習院女学部の前身となる華族女学校設立に関わる。
 三人ともにわが国の女子教育の先駆けとなって活躍することになる。
 使節団の行動を記した「米欧回覧実記」によれば、彼らが乗船したのは、アメリカが日本、中国に航路を置く太平洋郵船会社の最新鋭汽船「アメリカ号」、四千五百五十四トンの外輪蒸気船であった。
 午後一時に祝砲とどろくなか出航したアメリカ号は太平洋に乗りだす。船上の使節団の男女は、富士山、箱根、足柄山の連峯が夕陽を浴びる光景を遠望し、別れを惜しみつつ月光に照らされる波上を眺め、十一時頃にベッドへ入った。
 だが夜半から雨が降り急に波浪が湧きおこり、アメリカ号はおおいに震動した。
 全権大使はアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、イタリー、ドイツなど十二カ国を歴訪し、国書を大統領、皇帝に呈上する。
 その内容は、安政五年(一八五八)に諸外国とむすんだ不平等条約改正の期限が明治五年にくるため、わが国の実状をうちあけ、公平な利権を先進国と共有するための協議を求めるものであった。


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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府