連載
「まぼろしの維新」
第五章 隆盛辞職 津本 陽 Yo Tsumoto
 明治六年十月十五日の閣議に、隆盛は欠席した。閣議の内容は大久保が日記に書きとめている。現代文でしるす。
「午前十時より閣議に出席した。三条、岩倉両公が私に聞かれた。昨日の朝鮮事件についてのお考えは決しましたかといわれるので、私は断然昨日の意見を主張すると申しあげた。ほかの参議方は西郷氏の意に任せるとのことであった。
 とりわけ副島、板垣両氏は断然西郷氏を支持するとのことである。このうえは両公(三条、岩倉)の指示を待つことになり、われわれは別室へひきとった。
 しばらくして呼ばれ議場へ戻ると両公は告げられた。西郷は使節出向を許されないときは辞職するという。これは大変なことであるので、やむをえず西郷の意見をいれることにきめたといわれる。
 私は昨夜申しあげた通り、ご両公のご意見お定めに従い異存はありませんが、私の意見ははじめの通り断然変えませんと申しあげた。ほかの参議一同は異存なく、ことに副島、板垣は西郷支持を断然と表明し、閣議は終った。
 私は西郷の意見が採用されたときは、断然辞表をさしだす決心でいたので、そのまま引きとった」
 断然という文字が五回も用いられているのは、大久保の緊張しきった内心がうかがえるものだといわれている。
 三条実美が岩倉使節団の留守中に隆盛に朝鮮特使の派遣を要請され、うけいれたのは隆盛の気魄に圧倒されたためであった。
 その後、岩倉使節団が帰朝して、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らと相談すると、本来朝鮮との間に波風をたてる覚悟ができていなかった彼は、隆盛の朝鮮遣使をとりやめる気になった。
 だが十月十四日の閣議では、隆盛の辞職を覚悟の猛烈きわまりない気魄に萎縮してしまった。
 三条は岩倉とともに隆盛朝鮮派遣を中止するため、大久保に尽力を頼み、目的達成まであとへひかないという一札を彼に渡し、その請書(うけしょ)ももらっていたので、隆盛の願いをうけいれると、大久保と違約したことになる。
 万事に強引でねばりづよく、いかなる手段を使っても政治目的を達するまでは方針を変えない岩倉でさえ一歩を譲らざるをえなかった隆盛の前に、立ちふさがる勇気が三条にあるわけもなかった。
 板垣退助、副島種臣、後藤象二郎、江藤新平らの参議たちは西郷を支持している。また軍隊はすべて隆盛の威風のままに動くだろう。その出方によれば、政府を打ち崩すのは赤子の手をねじるほどたやすいことである。
 実美は内心の懊悩を記した書状を岩倉に送った。岩倉は十月十六日は急病と称し自邸にとじこもり、朝から伊藤博文と大隈重信を呼び寄せ、今度の難問題の解決策がいよいよないものであろうかとたずねた。このまま聖断を仰ぎ隆盛が使節として韓国へむかえば、いかなる重大事変がおこるかわからないので、なんとしても、さしとめたいのである。


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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府