連載
「まぼろしの維新」
第六章 士魂とは 津本 陽 Yo Tsumoto

 隆盛が鹿児島へ帰ると、陸軍少将桐野利秋、篠原国幹(くにもと)以下近衛局の将兵があとを追って辞職帰郷してしまった。
 司法省、警保寮でも辞職する文官があいついだ。政府には彼らの行動を制止することができない。国家の柱石である将兵、官吏が政府の許可を得ることなく帰郷していっても処罰せず、現職を離れても辞職したのではなく、非職であると解釈して、給料を彼らの郷里へ送ってやる。
 大久保利通を中心とする政府は、隆盛と板垣、副島(そえじま)、江藤、後藤の四参議が辞職したいま、国家を傾けるほどの大動乱がおこりかねないと見て、ひたすら反政府の全国諸党派を刺戟しない方針をとろうとしていた。
 だが司法卿として辣腕をふるった江藤は佐賀県士族を蜂起させ、国政の主導権を鹿児島県士族とともに掌握しようとたくらんでいた。
 隆盛がともに決起すれば全国の不平士族が一挙に暴発して政府を潰滅させてしまうであろうと予想したのである。
 江藤は東京にいる同志村地正治らを佐賀へ帰らせ、反政府の志士を募るとともに鹿児島へおもむき、隆盛に行動をともにしようとはたらきかけることにした。
 村地は当時の状況を語っている。
「明治六年十一月上旬、鹿児島へいったところ、同県の士族も動揺しており、西郷、桐野両氏はいなかに身を隠していた。方々探しまわってようやく面会できた。
 それでいまの政府の方針が誤っているので、全国の人心が動揺している。ぜひ協力してこの好機を生かし、一挙に中央を制しようではありませんかと、懸命に説得しようとした。
 だが西郷、桐野氏らは時機がまだ早いと主張するばかりで双方意見があわず、挙兵には応じなかった。しかし佐賀県志士が挙兵し行動する場合は、われわれは何の妨害もしないといった」
 村地らはやむなく十一月二十七、八日頃に佐賀へ帰り、政府に対し反省をうながすため協力する同志を募集した。村地は語る。
「私と中島鼎蔵(ていぞう)、徳久幸次郎が帰県して地元の友人たちに事情をうちあけ、尽力してもらいたいと頼むと、たちどころに数百人の同志が集まった。
 それで征韓党という結社を設立し、それから同志が集まるばかりで二十日ほどの間に千余人となった。
 それだけの人数が入る場所が見つからず、旧藩の弘道館という学校が空屋となっていたので、そこで談合ができるようにはからいました」
 その状況を江藤に報告し、彼を佐賀に帰らせ征韓党の首領にするため要請しようと衆議が一決して、十二月二十四日に中島鼎蔵らが東京へ出向いた。
 江藤は中島らの頼みを承知した。
 佐賀には憂国党という、政府の欧化方針に反対する保守主義者の団体があり、島津久光の方針を重んじていた。
 島義勇(よしたけ)は戊辰の役には佐賀藩軍監、大総督府軍監となり、関東各地を転戦し会計局判事となった。そののち開拓使判官、大学少監をつとめ、侍従に任命された。



1         10 11 12 次へ
 
〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府