連載
「まぼろしの維新」
第八章 雷雲迫る 津本 陽 Yo Tsumoto

 川路利良と同様に西郷隆盛と親密な立場にいた村田新八という人物がいる。
 川路より二歳年下で幼時から隆盛を兄のように慕い、文久二年(一八六二)二十六歳のとき、隆盛が島津久光の怒りにふれ沖永良部島へ流罪になると、村田も連座して鬼界ヶ島へ流された。
 戊辰戦争では薩摩二番隊監軍として奥羽へ出征して戦功をたて、明治二年に鹿児島常備隊砲兵隊長となった。
 明治四年には宮内大丞(くないだいじょう)となり、岩倉具視全権大使一行に参加し、欧米巡回をかさね明治七年春に帰国した。西郷はすでに参議を辞任し鹿児島に帰郷していた。
 村田は川路に劣らない巨漢で冷静沈着な人物として知られ、宮中の風儀粛清を任務としていた。彼がいまさら隆盛のあとを追わなくても、義理に欠けるということもない。今後宮内省の高官として、栄達への階段を登る前途が待っていた。
 だが新八は洋行のあいだにおこった征韓論騒動の実状を詳しく知ると、七歳年下の従弟高橋新吉を呼んだ。
 新吉は鹿児島藩士として長崎の英学者何礼之(かれいし)の塾で勉学するうち、洋行費を調達するため友人たちとともに英和辞書の編纂(へんさん)をくわだて、明治二年に上海の米国長老派教会美華書院に印刷を依頼し「和訳英辞林」を出版した。
 新吉は渡米して英語研究をかさねたのち、帰国して租税寮官僚として財政に手腕をふるっていた。
 新八は新吉と会い、内心をうちあけた。
「征韓で参議らが衝突した。西郷、大久保両大関の衝突じゃ。政府諸官の征韓論の決着についての意見は、大久保の意見と同様である。
 それで俺はいまから鹿児島に帰ってうどさあ(隆盛)の意見をたしかめたのち、今後の進退を決しようと思うのじゃ」
 新吉は応じた。
「そんなことなら、俺も兄貴といっしょに鹿児島へ帰るよ。進退をともに決しよう」
 二人はただちに旅装をととのえ、横浜の旅館で一泊した。翌朝に鹿児島へ向かう汽船に乗り、帰郷する。
 新八は夜がふけてから新吉に突然話しかけた。
「今夜俺は寝床に入っても、どうしても眠れん。頼むから起きて、俺と話しあってくれ」
 二人は言葉をかわしはじめたが、新八は年下の従弟の今後の発展を願うため、帰郷を思いとどまらせようとした。
「うどさあに俺が会えば、その心中はわかる。お前は東京にとどまり父殿を保護する任務があるぞ。鹿児島に戻り、うどさあのもとを離れて東帰できるかはわからん。帰郷するのは俺一人でよか」
 新吉は新八の忠告をうけいれ、東京に戻った。新八は新吉が隆盛に会えば、おそらく東京に戻ることはあるまいとわかっていたのである。
 隆盛は全身涙の袋といわれるほど後輩弱者への慈愛に満ち、いったん彼に接して心を通わせた者は、その傍(そば)から離れることができなくなった。
 隆盛は幕末に大久保利通とともに討幕運動で大活躍をした。その後、大久保は朝臣として政府ではたらくことになったが、隆盛は帰郷して温泉をめぐり、銃猟(じゅうりょう)の旅を楽しむ隠棲の生活を選んだ。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府