連載
「まぼろしの維新」
第九章 出陣 津本 陽 Yo Tsumoto

 明治九年十二月下旬から翌十年一月十五日にかけ、鹿児島に帰った中原少警部ら二十人は、連日親戚友人らと会い、探索した私学校党の実情を、東京の川路大警視へ密報していた。文面にはさまざまな暗号を用い、他人が一読しても内容がたやすく理解できないようになっている。
 だが一行のうちの元評論新聞記者田中直哉が、東京の友人へ送った手紙を落し、鹿児島第一分署の巡査に拾われた。
 読んでみると、「不日(ふじつ)鹿児島を破り、共に肩をならべてその愉快をつくし候」などと危険なにおいのする文章が目につき、巡査はただちに鹿児島警察第四課長のもとへ駆けつけ、報告した。署長野村忍介(おしすけ)は小根占(こねじめ)へ狩猟におもむいている西郷隆盛の護衛として巡査三人を派遣した。
 田中直哉の手紙を読んだ私学校党は、帰県した中原少警部らの身辺を探索するため、谷口登太を中原に接近させようとした。(『大久保利通伝』)
 谷口は中原と同様に外城(とじょう/城下の外)士族で三十三歳、戊辰の役ではともに兵器隊士で、維新後は谷口も警視庁に勤めていた。台湾征討にも従軍していたので、旧友といえる間柄であった。
 明治十年一月二十六日、谷口のもとへ旧知の士族、相良(さがら)長安がたずねてきた。
「お前(は)んは東京へ出るそうじゃな」
 谷口は首を振った。
「そげなこつは思うちょらんど」
 相良は搦(から)んできた。
「そいなら、なんぜ私学校へいかんとじゃ」
 谷口はまとわりついてくる蠅を追いはらうように、自分の住む日置(ひおき)郡小山田から鹿児島の私学校まで三里あまり離れており、貧乏で弁当もつくれないので、入校しないと答えた。
 うるさい長安を叩き出してやりたいが、相手は腕っ節が強いのでそうもできない。
 長安はなぜか谷口に私学校への入校をしつこくすすめ、ふだんは口にしたこともない意見を述べた。
「私学校は外患の憂いがあったとき、はたらく精兵を養成するためこしらえたものじゃ。いまアジア、トルコの一帯で戦(いっさ)がおこっちょる。そん禍(わざわい)が日本に及んできたとて、兵隊がなけりゃ合戦もできん。そこで私学校党がくりだして上京して攻め寄せる毛唐を打ち払うとじゃ。
 ほんじゃき兵器をととのえ、新規入校者を召集しちょる。もしそんときに入校しとらにゃ、臆病者(やっせんぼ)じゃちいうて、二才(にせ/青年)どんに叩き殺されるやも知れん。いまのうちに入校せえ。俺が手引きしちゃるきのう」
 相良は谷口に入校の手続きをとってやるといったあとで、なにげない口調でいいはじめた。
「近頃東京から警視庁の警部らが帰省しちょるが、中原尚雄もおるそうじゃ。お前んはあれと仲がよか。もう会うたとか」
「まだじゃ」
 相良は谷口に頼んだ。
「中原は私学校の動向を探るために、帰省しちょるに違いなか。お前んが中原に会うて探ってくれ」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府