連載
「まぼろしの維新」
第九章 出陣 津本 陽 Yo Tsumoto

 接近する口実は、台湾出兵ののち久しく顔を見ていないので会いにきた。近頃地元では私学校党の勢力が強まるばかりで、俺(おい)のように入校しない者は臆病者とか政府密偵とかいわれて迷惑している。いっそ東京へ出たいと思うが、いますぐに然(しか)るべき勤務先もなかろうかと、たずねろというのである。
 一月三十日に谷口が中原宅をたずね、相良とうちあわせた通りに話をもちかけると、中原は渡りに船と応じた。
「近頃は警視庁も盛大に人数をふやしちょるので、お前(は)んは以前に奉職しちょった縁もあって、いつでん採用されるじゃろ。お前んが東京へきてくれりゃ、おたがい尽力しあえるじゃなかか」
 酒をくみかわすうち、中原がふと思いついたようにいいだす。
「谷口どんよ。私学校党が出京するというちょる者がおっが、いつ頃になるじゃろ」
 谷口はしばらく考えて、答えた。
「おおかた三月頃になるじゃろかい」
「そうか。私学校党は、実につまらん連中じゃなあ」
 中原は私学校党が熊本鎮台を潰滅させるのも難事であるという。錦江湾に軍艦二、三隻、川内(せんだい)付近の海上に一、二隻も回航させ、海陸からの攻撃をすれば、たちまち潰滅させることができる。そんな情況であるのに、外城士族のお前んらあは、代々城下士族から在郷者といわれて差別されてきながら、いまになって私学校党になぜついてゆかねばならないか。つまらないと思わないのかと中原は巧みに谷口の気分を動揺させようとした。
 中原はやがて内心を洩らした。
「三月頃に私学校党が事をおこすときに、外城士族を一味から引き離すのは、俺の力でもかなりでくっじゃろ。しかし鹿児島じゃうどさあの下で徒党を固めちょるので、そいを引き離すのはとてもむずかしか。
 俺はまずうどさあに会いたいと思うたが、途中でうどさあを取り巻く二才どもにつまみ殺さるっのもばからしいと、いままで控えちょった。
 しかしもしうどさあが事をあげる時がくりゃ、面会して議論して、聞きいれてくれにゃ刺し違えるよりほかはなか。うどさあと死ぬなら不足はなか。お前んはこの先なんぞ変事を聞きつけりゃ、知らせてくいやんせ」
 谷口は辺見十郎太の弟と旧知の間柄なので、私学校の内情を調べてみる。また、隆盛が武(たけ)村の屋敷に在宅のときを調べて知らせようというと、中原はおおいによろこんだ。谷口はその夜のうちに帰宅した。
 一月三十一日、相良が谷口の家をたずね、中原が谷口に語った内容を聞きとり、報告書にまとめ私学校へ提出した。しかし、相良長安は架空の人物で、谷口を中原に接近させたのは、谷口の別の旧友であったと『薩南血涙史』には記載されている。
 二月三日、鹿児島警察署第四課長中島健彦が巡査百人を指揮して、警視庁が派遣した探偵捕縛をおこなった。
 中原少警部は谷口の使いという男に誘い出され、近所の橋を渡ったところで数十人の壮士に捕えられ、城下の西田(さいた)橋出張所に護送された。
 他の探偵たちも一人をのぞき捕えられた。二月二日正午に出航した横浜行きの汽船三邦丸に乗った権中警部松山信吾だけが助かった。
 密偵の一人は私学校党から受けた拷問の様子を記している。
「彼らは私を糾問所(きゅうもんしょ)に引きすえ、調査官二名、私学校生徒ら十数名が銃、棒、十手などを持ち、取りかこむ。
 われらはあいついで拷問をうけた。棒で殴られ手足を挫(くじ)かれ、鞭打たれて嘔吐する者もある。私は顔面から頭、四肢、腹背を所かまわず棒と鞭で乱打され、骨は挫け肌は破れ、目がくらみ、しばしば意識を失った。
 獄吏たちは抱きおこして水を飲ませ、われにかえるとまた殴打の雨を降らせる。全身の皮膚はことごとくくろずみ、顔を見ても誰かわからないほどである。
 ことにいたましかったのは、両手の指が五本とも皮と肉を打ちやぶられ、白骨だけがあらわに残っていたことで、誰も自分の足で立っている者がなかった。
『中原の肝(きも)は俺(おい)が取っど』
『いや、俺じゃ』
 私学校の壮士たちは拷問の途中で凶暴な喚(わめ)き声をあげた」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府