連載
「まぼろしの維新」
第九章 出陣 津本 陽 Yo Tsumoto

 私学校生徒の四日間つづいた火薬庫襲撃の通報が海軍省に達したのは、二月三日午後五時であった。鹿児島から熊本まで電信が通じていなかったので、遅れたのである。
 海軍省から京都行在(あんざい)所まで、ただちに情報を電信連絡する。天皇は孝明天皇十年式年祭のため、京都御所におられたので、廟議がひらかれ、海軍大輔(たいふ)川村純義と内務少輔(しょうゆう)林友幸が鹿児島への出張を命ぜられた。
 川村は隆盛と親戚で海軍中将の重職にあった。二人は二月七日、軍艦高雄丸で神戸を出港して、九日正午に鹿児島前之浜に入港した。篠原国幹は野村忍介に、高雄丸へ出向いて様子を見てくるように命じた。
 前之浜には高雄丸とほぼおなじ時刻に太平丸、迎陽丸の二隻の汽船も到着していた。川村大輔らは汽船が入港すると、積荷を運搬する艀(はしけ)が集ってくるのだが、その日は見渡してみても一艘も漕ぎ寄せてこない。
 海岸には小銃を肩にした多くの私学校生徒の姿があった。また政府の汽船大有丸、鹿児島丸、寧静丸はすでに私学校党に奪われたのであろう、甲板に武装した生徒たちが大勢姿を見せていた。
「こいはおだやかならん雲行きじゃ。しばらく情勢を探らにゃいかん」
 しばらく双眼鏡で海岸をうかがううち、野村忍介が小舟で埠頭を離れようとしているのが見えた。
 そのとき帯刀して小銃を持った私学校生徒五人が駆けつけてきて、大声で叫んだ。
「俺(おい)どもをお連れ下さいやったもんせ」
 野村が乗せようとすると、永山弥一郎、淵辺(ふちべ)照が声をかけた。
「どこへいくっか」
「高雄丸で川村どんに会うてくる」
 永山らは制止した。
「一人で刀を持たんでいかにゃなるまい。銃を持った男は下ろせ」
 野村はすすめに従い、刀を永山らに預け、一人で高雄丸へむかった。
 野村は高雄丸に漕ぎ寄せ大声で呼ぶ。
「鹿児島警察署長の野村が参じ申した。川村中将どんに拝顔したか」
 水兵らは野村をのぞき見るが、警戒して舷梯(げんてい)を下さない。名刺を渡すとようやく艦内に入れた。艦長室で長く待たされたが、やがて伊東祐亨(ゆきすけ)海軍中佐が姿をあらわし、野村に告げた。
「川村大輔がきておらるっど。会いやんせ」
あ 川村中将は野村に会うと用件を告げた。
「俺は一刻も早う大山県令どんと会うて話したか。じゃっどん浜を見りゃ戦支度の生徒らあがうろついちょる。お前んはよくきてくいやった。県令にいますぐ本艦へきて俺と相談せえとすすめておくれ」
 野村は前之浜へ戻り県庁へ駆けつけ、大山とともに高雄丸へ戻った。川村は用件を告げた。
「この頃、鹿児島は物情騒然としちょる。薩人は平常心を失うちょるごたる。先日三菱の赤龍丸が公命によって火薬庫から弾薬を搬出しはじめると、大勢の男らあが邪魔して仕事がでけんまま帰ってきた。
 政府は鹿児島の事情がわからんので、廟議をひらき、俺が実地視察にきたとじゃ。近頃の鹿児島(かごっま)の物情をそんまま教えてもらいたか」
 大山は中原少警視ら刺客の逮捕、弾薬掠奪に至った理由を語ったのち、意外の情勢を語った。
「さような形勢のなか、西郷大将は、桐野、篠原両少将と間なしに東上し、政府に問わにゃならん事があいもす。私学校生徒らあは大将警護のため、すべて従う事になっちょい申す」
 川村中将は事態が想像してきたよりもはるかに切迫しているのを知り胸をしめつけられる。
「お前んらが捕縛したという政府が送った刺客らの陰謀には確実な証拠があるのか」
「証拠は疑いのなかもんごわす」
「それなら刺客の口供書(くきょうしょ)を、ここで見せてたもんせ」
「書類は警察で整理しちょるごわんで、まだご高覧いただくこつができもはん」
 川村は嘆息していった。
「刺客の口供を軽々と信じらるっか。我輩が及ばずながら誠意をつくし、郷党諸士の憤懣を解くため全力をつくすので、お前(ま)んさあも熱誠をつくして、西郷大将の東上の志をひるがえしてくいやんせ。
 青天にいまだ雷ははじけちょらん。平地に波瀾が捲きおこっておるわけでもなか。いまのうちに円満に事が収まりゃ、国家の祥福こんうえもなか」
 大山は川村の願望はすでに達せられない状況になっていると語った。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府