連載
「まぼろしの維新」
第九章 出陣 津本 陽 Yo Tsumoto

 鹿児島では薩軍北上の直前に、隆盛の命を狙わせたのは川路大警視だけではなく、大久保内務卿もかかわっていた内情が判明する事件がおこっていた。
 川上海軍中将の乗艦高雄丸が前之浜へ着港した二月九日、同時に二隻の汽船が到着していた。
 そのうちの迎陽丸に東京からきた鹿児島県士族野村綱が乗っていた。彼は以前に宮崎県中属として勤務していたが、明治九年八月に宮崎県が鹿児島県へ合併されたのち、翌九年十二月二十八日に上京し、大久保に書状を送り対面を求めた。
 大久保は野村綱を自邸に招いた。野村綱は明治十年一月三日に大久保に会い、鹿児島の現状につき詳細に語った。
 大久保はそれまで野村綱と面識がなかったが、容貌すぐれ弁舌するどい彼を信用し、内心をうちあけた。
「私学校は肥大した腫物のようなものじゃ。これにかわる一大学校を建て、若い者らあの前途を誤らせんようにせにゃならん。そんためにはまず私学校生徒らあを仲間割れさせ、腫物を小さくさせることじゃ」
 野村は大久保の命令をうけ、彼の手先としてはたらくことになった。
 一月二十九日、大久保は野村綱をひそかに呼び寄せ命じた。
「その後、鹿児島の形勢は悪くなるばかりのようじゃ。少警部中原尚雄らは川路大警視の下命によって鹿児島に戻っちょる。お前んはただちに帰郷し、変動あれば知らせよ」
 野村綱は探偵としてはたらかせるためには、胆力に乏しい人物であったが、大久保は彼を信用した。
 野村綱は一月三十一日に横浜から西下し、二月九日に鹿児島へ到着する。埠頭には私学校の番兵が大勢立ちならんでいた。乗客らは鹿児島に居住する縁故者の印鑑をもらわなければ、上陸できない。
 野村綱は船中で顔見知りの二人の男に頼み、印鑑を捺印できて上陸したが、二月三日から九日までの間に、中原少警部ら二十人の川路大警視の探偵がすべて捕縛された事実を知り、彼らの供述した調書を町角の高札板で見ると、たちまち震えあがり、鹿児島警察署へ自首した。
 野村綱は二月十一日の夜から十三日へかけて口供書をとられた。現代文で記す。
「私は旧宮崎学校生徒九人の今後の就職について方向を定めるため、明治九年十二月二十八日に出京。当時鹿児島動揺の風聞があり、国家のため憂うべき事態と思い、同三十一日に鹿児島での士族の有り様は切迫しているので、詳細は存じませんが、実情をお聞き下さるなら参じますという書信を大久保卿にお送りすると、明治十年一月三日にお屋敷へ招かれ、私学校という大腫物を取りのぞくのが急務じゃと承(うけたまわ)りました」
 野村綱は初対面の大久保卿と懇談して帰宅したが、同月二十九日に召喚され出向くと、三十一日に横浜出港の客船で鹿児島へ帰るよう下命され、旅費として百円を与えられて依頼をうけた。
「来月から三月までが鹿児島は危なか。もし事情が変わりゃ、弾薬糧秣の手当もせねばならん。様子が急変すっ時は郵便は停り、電信は切れよう。
 そん時はご苦労じゃがただちに便船で駆け戻ってくいやい。警視庁より出張した探索方も皆必死の覚悟でいる。暴発がおこったときは、それぞれなすべきことを申し達しておる。その内容はつまり主任の人を倒すか、または火薬庫へ放火するなどのことで、それならばできるかぎりはたらき申すと私はお答えした」
 野村綱はそのうえで川路大警視が派遣した密偵の中原たち二十人の氏名を書いた半紙を手渡され、一月三十一日東京を出発し、帰県した。
 だが中原少警視らはすでに捕縛され、その行動を自白させられている状況であったので、いまさら探偵はできないと判断し、警察署へ自首したのである。
 野村綱の口供書には重大な一節があった。主任の人を倒すか、火薬庫へ放火するというが、主任とは隆盛自身が自分を示す言葉であると判断したからである。野村の自白がなかったならば、隆盛は大久保を積年の旧友として信頼をつらぬいたであろう。
 隆盛は川路大警視が私学校党の壊滅を計っていたとの報告を受けると、それが事実だと判断したが、野村綱の口供書を見ると深刻な打撃をうけた。
 大久保利通とは国政の諸問題について衝突をかさねてきたが、たがいの長所を伸ばしあい扶(たす)けあってきた旧友の信義は変わらないと思いこんでいたためである。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府