連載
「まぼろしの維新」
第十章 血戦 津本 陽 Yo Tsumoto

 このとき熊本鎮台参謀長樺山資紀(すけのり)は谷司令長官に進言していた。
「いま城内に固守しとれば士気は縮みもす。川尻に寄せてきた敵を攻むっがよかごあんそ」
 樺山は鹿児島県士族で、激しい薩摩気質を知っているので二個中隊を川尻へ夜襲にむかわせ、薩軍陣所に放火せよと命じた。
 薩軍指揮長別府晋介は小隊長を集め、命令した。
「俺どもは熊本城などは見向きもせず、まっすぐ東京へむかうつもいじゃったが、鎮台は戦(いっさ)をしかける容易でなか支度をしておつ。今夜は夜襲をしかけてくるやも知れん。皆、草鞋ばきで寝よ」
 晋介は一個小隊を夜通しで巡察させることにした。
 彼は熊本鎮台が薩軍に戦闘を挑むとはまったく予期していなかった。しかし、このあと思ってもみなかった難局に直面しなければならない。
 鎮台の二個中隊は午前一時に城を出て闇にまぎれ川尻に着いた。彼らは薩軍の巡察小隊とたまたま遭遇した。官兵の一人は誰何(すいか)をうけないうちに発砲した。
「ないごつじゃ」
「斬れ、斬れ」
 小隊長は騒ぎたつ部下を制止し、地面に伏して声をかけた。
「俺どもは薩摩私学校党じゃ。鎮台と戦をすっつもいはなか。撃ちあいをやめよ。話しあおうじゃなかか」
 だが鎮台兵は話しあいに応じる余裕がなく、薩軍の斬りこみを怖れ、小銃を撃ちまくった。挑発されても戦うまいと考えていた小隊長は部下に命じた。
「しょんなか、横手から突貫せい」
 薩兵は銃火の正面を避け、左右から襲いかかり斬りつける。
 官軍は白刃をふるう薩兵に応戦するすべを知らず、たちまち十数名が戦死した。彼らは銃器弾薬を投げ棄て闇中を逃げまどい、加勢(かせ)川に溺れる者も多かった。川の対岸に一隊が伏せていたが、味方の大混乱を見ると援護せず逃走していった。
 巡察小隊長は官軍伍長一名を捕虜として本営に連行し、別府指揮長が熊本鎮台の実情を訊問した。伍長は別府の予想をはるかに超えた内容を自白した。
「山県陸軍卿より下命あり。西郷隆盛は謀叛をくわだて、大軍を引き連れ東上する。熊本に殺到するのはまさに近かろう。
 いやしくも鎮台軍人たるもの備えを固め、身命を捧げ戦うべしとのことです。われらは戦備を固め、橋を落し砲台を設け、市中の工人に多数の地雷を製造させ、それを城外の高地に埋設しました。
 私どもは参謀長より川尻附近を偵察し、なしうれば敵営を焼けとの命令をうけ、出動いたしました」
 別府は指揮する二個大隊の小隊長を呼び、会議をひらいた。座上の意見はつぎのように一致した。
「われらは此度(こたび)の東上につき、叛意などまったく持っていない。西郷先生が政府に尋問することあるため、護衛の役をうけ出動したまでだ。
 政府がわれらを叛徒と呼び、兵を出して征伐するというならば、先方がわなをしかけてきたのだ。官軍と戦うのは好むところではないが、事態がここに至ってはやむをえない。彼らと銃火をまじえ最後の手段をとり東上すべきである。
 まず熊本城を陥落させよ。戦をおこしたのはわれらの罪でないことを、神明が照覧しておられる」
 別府も同感であったが、はやる気持をおさえ、後方の小川に宿陣している後続の二番大隊へ馬を走らせ、指揮長村田新八の意見を求めた。
 村田は政府がこちらの予測をはるかにうわまわる、強硬な策をとり、薩軍を叛徒として潰滅させる作戦を実行してきたと知ると、即座に答えた。
「いまさら鹿児島へ帰っても、もはや謀叛人じゃろ。進むよりほかはなかごあんそ」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府