連載
「まぼろしの維新」
第十章 血戦 津本 陽 Yo Tsumoto

 薩兵が銃弾を撃ちつくすと、村田は大声で命じた。
「引け、引け」
 いったん退却するのは、官兵を白兵戦で叩っ斬るためであった。
 本道の両脇に斬込隊数十人を伏せさせておき、本隊をわざと退却させて官兵を誘いこみ、たがいがもつれあったところで撫で斬りにするのである。
 村田が号令をかけようとしたとき、はるか遠方からときの声が聞こえてきた。村田が喚く。
「敵か味方か、どっちじゃ」
 熊本隊から派遣された嚮導高田露(あきら)が答えた。
「味方の伊東小隊じゃ」
 高田は一見女性のような美しい容貌で、絹の着物の下に緋縮緬(ひぢりめん)の長襦袢を着込んでいた洒落者であったが、斬りあいの手練は薩摩兵児もあっけにとられるほどであった。
 村田は躍り上がって叫んだ。
「よし、いけっ。一人もあまさずぶち斬れ」
 村田が官軍の正面から怒涛のようになだれこみ刀をふるい、返り血にまみれる。
 伊東小隊は一団となって乃木連隊の背後へまわりこみ、絶叫とともに官兵の渦巻くなかへ斬り入った。
 戦場は敵味方の見分けもつかない大混乱となり、人体に刀身を打ちこむときの異様な衝撃が耳朶を打った。
 乃木連隊長は混乱した戦場から退却するほかはないと判断して、負傷者、弾薬などを人夫に後送させ、不要なものはすべて焼却してのち、退却ラッパを吹き鳴らした。
 官兵は後方の千木桜と呼ばれる所に退き、散開して敵襲に反撃しようと布陣した。乃木連隊長は連隊旗手の河原林雄太少尉に巻いた連隊旗を背負わせ、後退させた。
 乃木は退却してゆこうとして、薩兵に袈裟がけに斬りつけられ、身をかわしつつ転げ落ちた。従兵の伍長が乃木のうえに覆いかぶさったので、かろうじて命拾いをした。
 周囲の薩兵をようやく追い払い、数十人の兵士たちがまた斬りこんでこようとする敵に猛射を加えているあいだに、乃木は河原林少尉の姿が見えないのに気づいた。
「河原林はどこだ。おれば返事をしろ」 
 兵士の一人が答えた。
「本道から引きあげるとき、少尉殿は押し寄せてくる敵に抜刀してむかわれました。その後、お見かけしておりません」
 乃木は大声でいった。
「それはただごとではない。軍旗を取られたら腹を切らねばならん。旗を取りに戻るぞ」
 月光を浴び、官軍の動きを注目している薩軍のほうへ、乃木が馬首をむけると周囲の兵が着剣した銃を手に従おうとした。
 曹長、軍曹らの下士官が泣きながら乃木を抱きとめた。
「連隊長殿がいまここで戦死なさりゃ、われわれはどう動くかわからんばってん、短気をおこさんで下さい」
 そのとき後方から第三中隊が駆けつけてきたので、乃木は中隊長津森大尉に河原林少尉の捜索を命じ、疲れはてた将兵を率い木葉村に帰還した。
 
 戦場から離脱しようとした河原林少尉は、乱戦にまきこまれ必死に斬りあううちに方角を見誤まり、人の気配のない場所へ従卒とともに出た。
 投刀塚(なたつか)と呼ばれるなだらかな丘陵である。彼は塚の石垣のうえに半身をあらわし周囲の状況をうかがう。
 そこへ薩軍伊東隊の吉野郷士岩切正九郎という、薬丸自顕流の遣い手が道に迷い通りかかった。彼は前途に人影を見て忍び足で近づくと敵ではなく、薩軍の人夫で彼と同様に道に迷っていた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府