連載
「まぼろしの維新」
第十章 血戦 津本 陽 Yo Tsumoto

 二人で歩きまわるうち、人夫がささやく。
「いま人声が聞こえもした」
「なに、敵がきたと」
 岩切が月光のなかをすかし見ると、塚の石垣のうえに上体をあらわしている者がいた。忍び寄ってゆくと官軍士官の服装である。
 岩切は抜刀するなり肩口へ袈裟がけの一撃を打ちこむ。河原林少尉は即死した。従卒はどこかへ逃走した。
 岩切は士官の服をはぎ、分捕りをする。肩から腰へ旗のような布を巻きつけている。
「こげなもんは汝(わい)にやっど」
 岩切たちは帰隊した。旗のようなものを持ち帰った人夫は、それを所属小隊長の村田三介に渡した。
 村田はそれをあらため、仰天した。
「これは官軍第十四連隊旗じゃ。おとろしか物を持ってきたじゃなかか。すぐに本営へ届けよ」 
 狂喜した村田はよろこびを隠せなかった。

 連隊旗を岩切正九郎に奪われたのを知らない乃木連隊長は木葉村に後退し、一個中隊と三個分隊を遊軍として散開させ、農家で夜を過ごした。
 官軍は木葉村本道の左右に一個中隊を展開し、左手の斜面に一個中隊、右手山麓に三個分隊を布陣させた。総指揮をとるのは第十四連隊第三大隊長吉杉少佐であった。
 薩軍本営は植木の村田、伊東の二小隊が第十四連隊を撃破したので積極攻勢をとる方針を決めた。五個小隊を山鹿街道、三個小隊を西方の高瀬街道に分かれて前進させ、木葉村の官軍を攻撃し、高瀬、南関へ北上して一気に小倉まで長駆して、関門海峡をおさえようという作戦である。
 二十三日午前一時、熊本本営附近を出発した薩軍八個小隊が前進をはじめ、途中で三隊が山鹿街道、五隊が高瀬街道へ分かれた。
 夜明けまえに人の気配の途絶えた植木に入った薩軍は斥候に前後の状況を探らせた。数時間を経て戻ってきた斥候は報告した。
「十四連隊の鎮台らは、木葉村まで退却した様子であいもす」
「よし、木葉村へ押しいれ」
 五個小隊は午前九時に植木を離れ、木葉村へむかった。
 十数町ほど進むと田原坂の登り口に着いたが、ゆるやかな坂を官軍将兵三十人ほどが前方から接近してくる。
 彼らは第十四連隊津森大尉の率いる斥候隊で、午前五時に木葉村を出発して田原坂に着いたところであった。
 薩軍が乱射すると、官軍は抗戦せず退却する。薩軍は縦隊で追撃し田原坂から北西へ一時間ほど走り、木葉村に着いた。木葉村の官軍は偵察隊が陣地へ逃げ込むと、一斉射撃をおこなう。
 薩軍は後退して上(かみ)木葉村の高所の森蔭に散開した。山鹿街道を進んでいた薩軍三個小隊のうち二隊が、木葉村の銃声を聞きつけた。
「もうはじまったか。機を逃しちゃいかん。走れ」
 熊本隊から派遣された嚮導が間道を案内してひた走る。
 彼らは午後一時頃木葉村の北方へ出ると地元の農民に命じた。
「官軍陣所のうしろへ案内してくれ」
 険しい山の急斜面を越えると官軍陣地が眼下に見えた。
 背後の斜面から猛射を加えると、官軍はうろたえ身を隠す。上木葉村で突撃の機をうかがっていた薩軍五小隊は、味方が木葉村後方から攻撃をはじめたのを知ると、村内へ斬りこんだ。
 乃木連隊長は津森大尉に一個中隊の遊軍を本道へ救援に急行させたが、薩軍は戦機を逸してはならないと白刃をふるい怒涛のようないきおいで、肉弾戦を挑んできた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府