連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

 木葉(このは)村本道陣地を守って戦う官軍三個中隊と三個分隊の総指揮をとる吉松少佐は、白刃をひらめかせ怒号とともに斬りこんでくる薩軍の攻撃を支えきれないと判断し、連絡将校を左翼陣地を守っている乃木希典(まれすみ)連隊長心得のもとへ走らせ、救援を求めた。
「この状態では本道陣地をとても支えられません。ただちに援兵を要請します」
 乃木は本道陣地が潰滅寸前で、吉松少佐の願いも当然である事情はよくわかっていたが、左翼陣地から数十人を本道へおもむかせたら、その様子をうかがっている薩軍がたちまちなだれこんできて、大敗北を喫して退却せざるをえなくなる。
 熊本城が陥落するかも知れない瀬戸際に、城外はるか離れた小村落で薩軍に肉弾で攻められ潰滅するのは恥辱だと奮起した乃木は馬を飛ばして本道陣地へ駆けつけ、吉松少佐を無理と知りつつ激励するほかはなかった。
「本道陣地が守れなければ、俺が代って指揮にあたる。貴官は左翼へいけ」
 吉松は顔をゆがめ、うなずくと歯を見せて笑った。
「よくわかりました。力が尽きるまでやります。幾人でも援兵をまわしてもらいたかったが、どちらもたいへんだ。ご心配かけてすまなかった。連隊長心得の君は陣地を離れてはいかん。戻ってくれ」
 笑顔で手を振る吉松に、乃木は返す言葉もなく左翼陣地へ戻ったが、まもなく本道で突撃の喊声(かんせい)があがった。
 吉松少佐が麾下(きか)の副官渡辺中尉以下二十数人の士卒と銃剣をつらね、必死の突撃をしかけたのである。官軍を侮り蹂躙していた薩軍は、思いがけない突撃をしかけられ、数百歩退却し、本道陣地は崩壊の危機をしばらく免れた。
 吉松少佐、渡辺中尉は負傷した。吉松は重傷を負い、危篤状態の有様で顎を動かしかろうじて呼吸をしていた。
 薩軍は猛攻を続けていたが、日没の頃から銃声がまばらになり、怒濤が押し寄せるような突撃も収まってきた。
 乃木少佐は各中隊長に命じた。
「現陣地を明日も守り通すには兵数がすくない。本部をここより北西の石貫(いしぬき)村に後退させ、迫間(はぜま)川に沿って布陣するほうが、守りやすい。日が暮れると右翼から梯形陣(ていけいじん)をとり退(ひ)くことにする。
 包帯所、炊事場、村内哨兵は大室中尉の指揮に従い、木葉村の後方稲佐村の高所に布陣し、後衛として行動せよ」
 官軍が右翼から退却する動きをとらえると、薩軍はすさまじい抜刀攻撃をくりかえしつつ、一隊が木葉村から稲佐山の麓へ移動して、官軍の退路を断つように待ち構えた。
 日没前から雨が激しく降りだしてきた。雨中に硝煙がたちこめ、視野を塞いだので死闘をつづける両軍は、敵の姿を見分けられなくなり、日本刀で斬りかかられると、銃剣で必死に立ちむかう。
 官軍の士卒はこのまま乱闘を続ければ斬り倒されると見て、われがちに高瀬の方向へ逃走していった。
 乃木少佐は乗馬が疲労しきって動けなくなったので、担架で後退していった吉松少佐の馬に乗ったが、たちまち流弾が馬体に命中したので、馬は悲鳴をあげ狂奔し敵中へ駆け入って倒れた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府