連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

「死傷者あいつぎ、薩兵らは支えきれず、逃げ走りよるばってん、危のうなっとるたい。助力を頼みます」
 佐々らは左翼へ応援に走ったが、彼につきそい走っていた狙撃手伊東永が即死した。左翼陣地を守っていた薩兵たちは、数倍の火力を集中してくる官軍の攻撃に堪えきれず潰走し、別働隊もあとに続いた。
「こりゃいかんばい。総崩れになるぞ」
 佐々は友人の深野一三(いちぞう)の小隊に応援を求めたが、彼らが応援に駆けつけてくる前に、右翼を守っていた薩兵と別働隊が、官兵の猛攻を支えきれず退却していった。
 佐々は怒濤のように押し寄せてくる、官軍三個中隊半の大兵に包囲されるまえに、伊倉八幡宮前まで後退してくると、深野小隊長が小隊を率い、応援にくるのに出会った。
 二人は敵の返り血を浴びた軍装で、路上に立ち、話しあう。
「池辺先生の本隊は、大敵に追い散らされ、全軍が統制を失い、取りまとめようにも手をつけられんごたるなっとるじゃろ。俺らの二小隊で吉次峠へ戻って守らにゃならん」
「うむ、どうせ捨てた命じゃ。なんでもやろうたい」
 佐々は本道、深野は間道をとって吉次峠にむかうことにした。
 敵の大部隊は猛追撃をつづけ、背後に迫ってくる。斥候がいう。
「敵は別の道を進み、もはや吉次峠を占領しとります。あやつらはいま野辺田山におり、あの何百という人影は、それですたい」
 兵士たちは動揺し、戦意を失っていいあう。
「吉次峠の麓を迂回して熊本へ帰らにゃいかんたい」
 佐々は部下たちの判断をうけいれなかった。
「吉次峠はわが輩がいったん占領した所じゃ。あの人影がはたして官軍ならば、現世の見納めにこころよく合戦して命を捨てようたい」
 抜刀を担ぎ足音を殺し、峠道を登ってゆくと、聞えてくる人声が官軍ではなく、戦(いくさ)を見物にきた附近の村民の騒ぎであった。
 佐々は大声で笑った。
「また風声鶴唳(ふうせいかくれい)におどろかされたか。ばからしか」
 日暮れ前に吉次峠に到着すると、石や土をつめた竹籠を積んだ胸壁をつらねた陣中には、佐々の兄干城がわずかな兵とともにいた。
 干城は溜息をついていった。
「薩軍、熊本隊はともに大窪(おおくぼ)へ退却しおった。ここにおるのは俺らだけじゃ」
「深野はどけおるじゃろか」
「あれも逃げたぞ」
「なにを、臆病者(やっせんぼ)が逃げたか。あいつは俺の手で成敗してやっど」
 二十四歳の佐々は、敬愛していた三歳年上の深野が退却したと聞かされると、激怒した。
 彼は吉次峠で斬り死にの覚悟をきめ、部下たちに聞いた。
「諸君、ここで最後の一人まで戦って死ぬるのと、退却してそれぞれに死ぬるのと、どっちがよいか。いま吉次の険塁を捨てたなら、敵はここよりまっすぐ熊本に入り、入城するたい。そうなりゃ、西郷が百人おったとてどうにもならん。
 わが輩らが命を捨てるのはいまのほかにはなか。死ぬは一度じゃ。今夜われらはこの陣所で死のうたい」
 兵は気をたかぶらせ、叫んだ。
「ここで死ね、死ね」
 佐々は感激して、刀を抜き道端の楠を削り、地肌に筆で記した。
「敵愾隊ことごとくこの樹下に死す。わが輩平生楠公を慕うゆえ、かくの如し」
 敵愾隊とは、佐々らが一番小隊が決起したとき命名した最初の隊名であった。
 そのとき深野隊の斥候磯野、牛島の二人が通りかかり、佐々たちが吉次越を死守する決意をかためたのを知り、この地で生死をともにしたいと願い出た。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府