連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

 そのとき主人がいった。
「今日は熊本義軍が負け、百姓は皆気落ちしたですたい。家はきっと官軍の焼討ちをくらうと思うて、家財はうらの林へ隠したがです。
 そこへ義軍のお方が敵に追われてきたので、助けて長持のなかへ隠しときましたばい」
 八木らが納戸(なんど)に置かれた長持の蓋(ふた)を開けると、なかから立ちあがったのは十一番小隊池辺源太郎であった。三人は手を握りあった。
「おたがいに命あってなによりじゃ」
 池辺は昼間の乱戦で味方にはぐれ、四方を敵に包囲されたので、切腹を覚悟した。
 そこへこの家の主人があらわれ、自害を懸命にひきとめわが家へともない、長持に隠した。
 その直後、数人の官兵が乱入してきて主人を威嚇した。
「いま賊兵が逃げこんできただろうが」
「そげな者はきちょらんですばい」
 官兵の隊長は、池辺が隠れている長持に腰をかけ、部下が家のなかを探しまわる。池辺は隊長が長持の蓋を開ければ、一刀のもとに斬り殺そうと身構えていたが、官兵らはそのまま去っていったので、池辺は土壇場で命拾いをしたのである。
 三人が吉次峠へむかう山道を急いでゆくと、誰かの足音がうしろからかすかについてくる。敵の斥候であろうかと藪のなかに身をひそめ様子を見ると、山袴(やまばかま)に脚絆(きゃはん)、半羽織の身ごしらえに両刀を帯びた男が早い足取りで歩いてくる。
「これは味方たい」
 三人は路上に身をあらわす。相手は刀の柄に手をかけたが、「熊本隊の者ではなかか」と声をかけられると「そうたい」と嬉しげに返事をした。
 その男は熊本隊の坂本淳(すなお)という兵士であった。彼は高瀬川堤での官軍との乱戦で敗れ、伊倉へ退却するとき、敵の重囲のなか退路をとざされ、畑の積藁(つみわら)のなかへもぐりこみ身をかくした。
 官兵は積藁に幾度か銃剣を突き刺したが、手ごたえがなかったので通り過ぎた。坂本は頭をかすられ、もう駄目だと観念したが敵が去り、手拭いで頭を縛りしばらくすると出血もとまったので、吉次峠の篝火をめざし歩いてきたのであった。

 二月二十六日午後六時、薩軍の精鋭部隊三千余人が熊本を出発し、大窪に到着すると官軍が集結している高瀬を攻略する部署をととのえた。
 右翼軍は三個小隊で司令は桐野利秋である。中央軍は六個小隊で、篠原国幹、別府晋介が司令。左翼軍は五個小隊で、村田新八が司令である。一個小隊は二百人前後である。
 右翼軍は山鹿から菊池川上流を南下し、官軍左翼を撃破する。中央軍は植木本道を北上し、菊池川を渡河して、官軍正面陣地に突入する。左翼軍は吉次越から伊倉に進出し、菊池川を渡り、官軍右翼をつき、高瀬の敵主力を撃滅する。
 熊本隊は左翼軍に従い吉次越の守備にあたることになった。そのような動きを知らない佐々友房は夜がしらじらと明けそめてきた頃、隊伍を整然と組んだ大部隊が、熊本のほうから坂道を登ってくるのを見て、堡塁のうえに登って見ると、千数百人の薩軍が隊旗をひるがえしてくる。先頭には熊本隊の嚮導二十人ほどが赤旗を振り道案内をしている。
 佐々の口からよろこびの声がほとばしった。
「今日のうちには斬り死にと覚悟していたが、どうやら命は先に延びたようたい。皆、薪を燃やし薩軍を迎えよ」
 やがて木戸が開き、入ってきた巨漢が大声で呼んだ。
「佐々君、佐々君。どげおっか。無事か」
 佐々が駆け寄り、男の手を握りしめた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府