連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

「五体満足でおりますたい」
 巨漢は村田新八である。
「佐々君、さしかぶいで生きての対面はめでたか。昨日から苦戦続きじゃっと聞いちょったが」
「官軍が攻めてくるどて思うちょったけん、今日かぎりの命と思い定めとったですたい」
 村田に続き、三十歳ほどの年頃の洋式軍装をした男が篝火をとりかこみ暖をとる兵たちの間に、腰をおろした。小隊長の腕印をつけ、村田に劣らない巨漢であった。
 彼は西郷隆盛の末弟小兵衛であると、村田が紹介した。小兵衛は容貌が雄偉(ゆうい)で動作がおちついている。口数は少ないが、黙っていても、他の将士とちがう威厳があると佐々は思った。
 村田はいった。
「君らは連戦して疲れたじゃろ。しばらく休憩すりゃよかんそ。俺(おい)どまこれより兵を動かし、こころよかはたらきをすっつもいじゃ」
 村田は佐々たちと歓談の一刻を過ごしたのち、薩軍を指揮して高瀬へむかっていった。
 この日、一番鶏の啼(な)く頃、山鹿へ北上した右翼軍は左折して菊池川沿いに下り、午前十時に高瀬北西の迫間津(さこまつ)附近に達し、高瀬と南関の官軍戦線を分断しようとした。
 船隈に着陣していた第二旅団の参謀長野津道貫大佐はその情勢を把握すると、ただちに直属の一個小隊を玉名高地に布陣させ、さらに二個中隊を増強し、一個中隊を遥拝宮に配置した。
 桐野は附近の地形を眺め、攻撃策を考えた。官軍は一帯の高地に布陣しているので、かならず数を頼み、守備に弛(ゆる)みが生じているだろう。こちらが一隊を動かして山間をひそかに進み、突然彼らの後ろへ回りこみ、腹背を一挙に攻撃すれば、かならず勝利はわが手に入ると考えた桐野は玉名の森に一隊を南下させ、官軍の背後に喊声とともに斬りこませた。
 同時に一隊が正面から肉迫する。官軍は不意の攻撃にうろたえ四散潰走した。薩軍は敵陣を占領し、遺棄されていた大量の兵器弾薬をすべて奪い去った。
 薩軍は遥拝宮をも襲撃した。官軍は兵力を急派し、堡塁を死守しようとしたが、薩軍はチェイ、チェイの掛け声もすさまじく、寡兵(かへい)で大兵にあたり、白刃をふるい斬りまくる。官軍は死傷者が続出しうろたえて陣地を捨て潰走した。薩軍は勢いに乗って追撃し、遺棄したおびただしい弾薬を奪った。
 薩軍は官軍の二堡塁を占領し山頂でしばらく休息した。第十四連隊長乃木少佐は負傷していたが、薩軍に奪われた二堡塁を奪回するため、午後五時に大部隊を山頂への攻撃にむかわせ、四方から雨のような射撃を浴びせた。薩軍は猛然と反撃するが、早朝から間断なく白兵戦をおこなってきた将士は疲れきっていた。
 篠原国幹、別府晋介らの率いる中央軍は、このとき官軍主力の烈しい反撃に押され後退し、援軍は期待できず、弾薬もまったく尽きてしまったので、左翼隊はやむなく占領した官軍陣地を放棄し、刀をふるい血路をひらいて山鹿へ走った。
 このとき二番大隊三番小隊長重久雄七(しげひさゆうしち)は部下十五人とともに江田(えた)の高地に踏みとどまり、殿(しんがり)をつとめて戦い夜がふけてから植木に退却した。官軍の銃撃に倒れた主な幹部は各小隊の半隊長が多かった。軍装を見て狙撃されたのである。
 官軍正面を攻めた篠原国幹、別府晋介の中央軍は、この日夜明けに大窪を出発し、田原本道からまっすぐ高瀬へ急行し、先鋒の新納(にいろ)隊は午前六時、菊池川の堤に至り、橋を渡ろうとした。
 だが官軍第一、第二旅団、第十四連隊主力が対岸に散開しており、猛烈な射撃を加えてきて、薩軍は橋を渡ることができない。懸命に応射するが現状を突破する手段がなかった。
 一番大隊二番小隊の半隊長加世田(かせだ)弥八郎が官軍の乱射のなか、午後一時に土手から飛び出し、あとを追う部下たちとともに川舟を漕いで対岸に渡り、官軍の右翼から斬りこむ。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府