連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

 村田新八の左翼軍は午前八時に安楽寺(あんらくじ)を過ぎ、菊池川の堤に展開して対岸の官軍を射撃した。兵数において薩軍にはるかに勝る官軍は川を渡り左翼軍の右側に迫ってきた。
 たがいの距離は百歩ほどになり、硝煙がたちこめるなか、一番大隊二番小隊坂本甲太郎が額に被弾即死し、死傷者が続出してきた。指揮官たちは斬りこみを覚悟した。
「弾(たま)はもうなか。クソ鎮に撃たれっせえ、逃ぐっか。そいでん男か」
 斬りこみの密集隊形をとろうとしたとき、天をつく喊声とともに薩軍一個小隊が戦場にあらわれ、官軍のなかへ斬りこんだ。
「味方がきた。こっちも押せ、押せ」
 左翼軍が川を渡り白刃をひらめかせ、われがちに突進する。
 官軍は態勢を乱し、正午を過ぎた頃、ついに潰走した。
 村田新八は西郷小兵衛、浅江直之進の二個小隊に命じた。
「敵んうしろせえ回りこんで観音丘を取って、退路を断ちやい」
 玉名の丘陵には歩兵第一旅団第一連隊の官軍一個大隊が高瀬一帯の高地に布陣し、野砲一門をそなえ、薩軍の来襲にそなえていた。
 このとき戦線は東西六、七里にひろがっている。薩軍は凸凹の多い地形を利用して、官軍に思いがけない抜刀攻撃をかさね、出血を強いた。
 官軍は薩摩兵児(へこ)の肉迫を恐怖し、夢中で退却して道に迷い、林中で待ち伏せしている薩軍の餌食となった。
 西郷、浅江の二個小隊は玉名の高地へ突撃する。官軍は銃砲撃で薩軍を制圧しようとした。薩軍の喊声は銃砲声をおさえ、官軍は堡塁を支えきれず、火を放って高瀬街道を退却していった。
 この激戦のあいだに、陣頭で指揮旗を振って駆けまわり指図していた西郷小兵衛が、ついに左胸に敵弾を受け戦死した。彼は口数がすくなく人前に立つのを嫌う人物であったが、豪胆で沈着、用兵に長じていたので、全軍の将兵がその死を惜しんだ。
 薩軍は左翼軍のめざましい健闘を見て態勢をたてなおし、官軍を追撃したが、第二旅団の一個大隊があらたに戦線に進出し、薩軍を包囲した。
 薩軍将兵は死地に陥ったと感じとり、死ぬ覚悟を定めた。
「銃を捨てよ、死ぬときはいまじゃ。ここで死ねばよかんそ」
 彼らは抜刀して死地に駆けこもうとした。そのとき友軍の一番大隊五番小隊が、新式小銃を発砲しつつ戦線に参加してきた。
 全滅を覚悟した薩軍は勢いをもりかえし、数倍の官軍を斬り破り銃器を分捕った。だが、新手の官軍が左方の高地にあらわれ、攻め下ってきたので、数において劣勢な薩軍は伊倉へ退却していった。
 吉次峠の堡塁を守っていた熊本隊一番小隊長佐々友房は、終日望遠鏡で東方の山鹿から中央軍の攻める木葉、西端の伊倉に至る長大な戦線での薩軍と官軍との一進一退の死闘を見渡し、眼を離せなかった。薩軍三千人は火力、兵力において勝る官軍と白兵戦で対抗し突撃の喊声と銃砲声は山野を震撼させた。
 砲火の轟が静まった日暮れがたに、七、八人の薩兵が蓆(むしろ)を敷いた戸板に縄をかけつきそい、長い担(にな)い棒をかけ農民が担ぎ峠を登ってきた。
 戸板の上には黒ラシャの外套で覆った屍体がのせられ、草鞋ばきの両足が棒のように出ていた。
「誰の骸(むくろ)じゃろうや。兵隊じゃなか」
 兵士の戦死体は薩軍、官軍ともに手足を縛ってその間に青竹を通し、二人の農民に担がせて運ぶので、この丁寧な扱いを見れば指揮官であろう。 
 哨兵が走ってきて知らせた。
「西郷小兵衛殿のご遺骸ですばい」
 佐々はおどろく。
「なにを、小兵衛どんが」
 佐々と熊本隊軍監古閑俊雄が遺骸にかぶせられた外套をまくり、蒼白な顔を拝んだ。
 「今朝の出陣を見送ったのが夢のようじゃ。小兵衛の仇は俺たちがきっとうつばってん、先にお旅立ちないよ」
 夜になって薩軍指揮官たちは伊倉で翌日からの軍議をひらいた。
 篠原、村田が小隊長、半隊押伍(おうご/伍長)らに意見を聞く。



        9 10 次へ
 
〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府