連載
「まぼろしの維新」
第十一章 露の命 津本 陽 Yo Tsumoto

「菊池川を渡り高瀬を攻むっとは、地形が不便に過ぎる。明日はどげんやるか、妙策がごわすか」
 浅江直之進ら小隊長たちがいった。
「伊倉に防備隊を置き、官軍の進撃をはばむ。他の隊は全軍が南関の敵を滅したのち二軍にわかち、一軍は筑前街道を塞ぎ本営を置く。
 いま一軍は佐賀、肥前を通過して長崎を攻撃して、兵器弾薬の補給源を得ることが、もっとも緊急の軍略である」
 村田は彼らの意見を上策であるといったが、熊本城がまだ陥落していないいま、戦線をひろげれば、軍需の供給に苦労しなければならない。しばらくこの辺りの険阻な地形によって戦い、鎮台を疲れさせたのち、好機をとらえ一斉攻撃に出る策はどうだといった。
 軍議は村田の策に決した。
 吉次越を戦線の中央に置き、東は耳取(みみとり)山、那智山、田原坂から右手の山地に陣地をつらねる。西は三ノ岳(さんのたけ)、二ノ岳から河内海岸に至るすべての要害を固める。
 敵が襲来したときは全軍が連絡をとり、呼応して戦うのである。
 つまり薩軍は精鋭をこぞって官軍主力を撃破し、北方への進路をひらこうとしたが、兵力はすくなく弾薬も乏しかったため、計画は予定とくいちがった。
 そのため攻撃から守備へ戦略を変え、官軍の来攻に備える方針をたてたのである。
 薩軍四番大隊長桐野利秋は田原坂を固め、二番大隊長村田新八、六番七番連合大隊長別府晋介は木留に着陣、それぞれ出張本営を設けた。熊本本隊は木留に本営を置く。
 二月二十八日、薩軍一番大隊一番小隊は、前小隊長西郷小兵衛戦死のあとを林七郎次が継ぎ、全隊は吉次峠から木留に移った。
 新納清一郎は二番小隊を率い、菊池川下流高地に布陣していたが、命令によって田原坂に陣を移した。
 三番小隊長浅江直之進は同日夜明け前に高瀬川を渡り、敵情偵察をおこなおうとしたが、官軍の猛烈な射撃をうけ、しばらく交戦ののち原倉に後退した。そこで三番小隊の半隊は味方の三個小隊と一番砲隊半隊長の率いる砲三門とともに植木から木葉に進出し、稲佐本道沿いに堡塁をつらね守備をかためた。
 吉次越附近には八個小隊が要所を選び展開している。
 吉次越は高瀬と熊本を結ぶ間道の要衛で、標高二百三十八メートルの険しい地形であった。
 この日戦線は休戦状態で静まりかえっていたが、政府軍艦九隻が河内、塩屋、近津(ちこうづ)海岸に猛烈な艦砲射撃をおこなったのち、河内附近の民家に放火して陸兵部隊の上陸を試みたが、薩摩、熊本の諸隊が協力して必死の反撃をおこなったので、官軍は上陸できなかった。
 三月一日、官軍四個大隊が博多に上陸、大分には警視隊五個小隊が到着した。警視隊は指揮長・一番隊長を命ぜられた、元会津藩家老で戊辰戦争にその名を知られた鬼官兵衛こと、佐川官兵衛がいた。
 この日午前八時、官軍は高瀬街道を南下、木葉に堡塁をつらねる薩軍を攻撃した。薩軍二個小隊と大砲三門が反撃し、午後二時まで戦線は膠着し勝敗は決しなかった。
 薩軍の主力は山鹿に本営を置く十三個小隊で、主将桐野は官軍本営南関を抜き、小倉に進撃するつもりであった。
 三月三日、官軍第一、第二旅団は高瀬から東南にむかい、安楽寺、伊倉に進出しようとした。
 第二旅団参謀長野津道貫大佐は歩兵二個中隊を前衛、三個小隊を後衛として、二方面に分け前進して伊倉で合流させることにした。
 このとき薩軍浅江直之進の率いる一の三番小隊は原倉にいた。桐良直良の一の五番小隊、佐々友房の熊本隊一番小隊は吉次越、三宅新十郎の同五番小隊は耳取に展開していた。
 その左翼には岩間小十郎の熊本十五番小隊、三ノ岳附近の山岳には六個小隊が散開していた。
 午前七時、官軍前衛部隊は木葉の戦線で喊声が湧きあがり、銃砲声のとどろくのを左方に聞きつつ、吉次越を防衛する堡塁をつらねる立岩に押し寄せた。
 立岩に布陣する薩軍浅江隊は寡兵であったが、十数回の斬りこみをおこない、撃退をくりかえす。官軍は立岩の左翼から砲兵の攻撃を加える。浅江隊の損害はしだいにふえてきた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府