連載
「まぼろしの維新」
第十二章 田原坂 津本 陽 Yo Tsumoto

「そいは俺どもが願うところに違いなかごわす。ただ篠原さあについて、死をもって敵を破いたかごわす」
 篠原はよろこんで自分の考えを熊本本営に提議したが、本営は熊本城で官軍と雌雄を決し、敵を全滅させてのち東京をめざせばよい。いまはそれぞれの戦場を固めよというのである。
 この返事をうけた篠原は、「俺はこのあと誰の意見によって死ぬことになるか分らぬ」と溜息をついたという。
 この日、篠原、村田の二隊はすさまじい攻撃をはじめた。篠原の雄姿は戦場に立つすべての者の注目を集めた。
 薩軍小隊長石橋清八が篠原の身を気づかった。
「篠原さあの命は山より重うごわはんか。兵とともに捨ててはなりもはん。すぐ安全な後方へ退(さが)ってくいやんせ」
 篠原は笑った。
「俺は戦(いっさ)をしゆうが。危なかと思うて退るのは勝手じゃが、俺は退かん」
 篠原の運命は、まもなく彼の望む通りになった。
 官軍の江田国通少佐は、かつて篠原を見たことがあったので、彼を発見すると、狙撃手に命じた。
「あれが篠原閣下だ。ただちに狙撃せよ」
 篠原は一発の銃弾でわが望みを達し、薩摩隼人の最後を飾った。狙撃手はのちの陸軍少将村田経芳(つねよし)であったといわれる。
 篠原の死を知った薩軍は、狂気のような白兵攻撃を展開した。
 官軍は銃砲で応戦できなくなり、なだれをうって逃走する。二キロほどももつれあって走り、肥薩両軍はすべてで攻勢をとり、斬りかかる。
 官軍の屍体は道路を覆い、六キロほども北方へ撃退された。官軍は全戦線で大敗した。時刻は午後三時半であった。野津大佐も敵味方の入り乱れるなかで、二弾を身に受けたが、一弾は帯革(おびかわ)、一弾は剣鞘に当り負傷を免れた。官軍がどうしても越えられない吉次越は、地獄峠と呼ばれるようになった。
 三月五日、薩軍五番大隊五番小隊長薗田武一の小隊が田原(たばる)坂本道右翼を守備していたが、官軍大部隊が本道防備にあたる薩軍五番大隊八番小隊が猛攻をしかけているとの連絡をうけ、半隊約百人が応援に急行した。
 薩軍は銃弾を消尽(しょうじん)しつくしているので、官軍を発見するとただちに白兵戦を敢行する。官軍は射撃を開始するまえに陣中へ斬りこまれ、死傷者が続出して退却せざるをえなくなる。
 田原坂本道攻撃にあたる官軍先鋒は四、五百メートルも退き、占領していた薩軍台場を捨てた。午後四時頃であった。
 薩軍木留本営は、待機している四番大隊五番小隊永山休二、一番大隊六番小隊長相良吉之助の二小隊を田原坂へむかわせた。午後一時頃、永山隊が田原坂南方の二俣(ふたまた)に至ったとき、突然官軍一個中隊が接近してきて猛烈な一斉射撃を加えてきた。
 永山隊は応射しつつ近づき抜刀する。敵はたちまち動揺し退却したので、永山隊はあとを追い斬りこむ。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府