連載
「まぼろしの維新」
第十二章 田原坂 津本 陽 Yo Tsumoto

 両軍の戦線は東西十余里に延びていた。薩軍抜刀隊は彼我の陣営から銃砲撃戦を展開しているとき、地を這い樹林に身を隠して官軍に迫り、さらに忍び寄ると抜刀して撫で斬りにする。
 辺りが暗くなってくると、抜刀隊はすさまじい勢いを発揮した。官軍は銃撃が困難になってくると、蛇のように接近して斬りこんでくる薩軍をひたすら怖れ、面目を失うのもかまわず逃走する。
 一隊が死傷なかばを超すと同僚よりも先に逃げ去ろうと、味方を押しのけ突き倒し、うしろの闇に身を隠すために必死になった。官軍は豊富な弾薬を用い猛烈きわまる射撃をつづけ、その都度三方から前進して薩軍の側背をつこうとするが、たがいに連絡をとることができず、凹凸の多い地形を利用した小さな台場から薩軍抜刀隊が駆けだしてくると反撃する前に混戦状態となり、敵から身を隠そうとするばかりで、前進することができなかった。
 官軍は暮れきって目標をつけられなくなっても、ひたすら銃撃するので、薩軍はまぐれ当りの銃弾で死傷して、一帯は危険きわまりなかった。
「闇夜に撃ちまくるとは、無駄使いでもったいなかこつじゃ」
 薩軍は銃火をめあてに敵部隊の背後へ兵をまわりこませ、退路をさえぎったうえで、正面から疾風のように斬りこむ。
 官軍の諸部隊は幾度となくしかけられているこの戦法で攻められると、もろくも大敗した。薩兵たちは嘲(あざけ)った。
「撃たんで寝ころんでりゃ、弾丸がきれたと思いこみ、やがては攻めてくっど。そいを待って抜刀攻めをすりゃ、皆殺しは楽なことでごあんさ」
 だが弾薬に窮した薩軍にくらべ、海軍によって海上から兵員、資材の豊富な提供をうけている官軍は、損害をうけても回復力がきわめて早かった。
 個々の戦闘で敗北退却しても、新編成部隊が戦線へ到着し、攻撃してくるので薩軍は、どうしても北上できない。小倉、博多を一蹴(いっしゅう)し、関門海峡を越えるのはいつになるのか見当もつかなかった。
 三月七日の熊本城攻撃の様子を記した薩摩隊士の日記には、花岡山台場の薩軍大砲が、午前八時頃号令に従い城内へ一斉に撃ちこまれた様子が述べられている。
 城内は大混乱であった。熊本城から四キロも離れた花岡山陣地に、城内の悲鳴がはっきり聞えたという。
 十一時に撃ちかたやめになる。衛生兵であるその隊士は田原坂附近の戦線から戻ってきた兵士と昼食をともにした。彼らは話しあう。
「官軍は叩きゃ逃げおっが、いくらでん新手が出てきおっど。手ごわか。じゃっどん俺(おい)どもは負けもはん」
 兵士は刃こぼれの目立つ刀を上段にふりかざし、打ちおろす動作を見せた。衛生兵は数日前から病院へ運ばれてくる負傷者で、足の踏み場もなくなった理由を知った。薩軍は戦闘に勝ちながら、敵を完全に撃破する戦力がなく、ただ日本刀にわが命を賭けて戦うばかりであったのだ。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府