連載
「まぼろしの維新」
第十二章 田原坂 津本 陽 Yo Tsumoto

 深手をうけた田原坂方面の十個小隊ほどの兵は、植木方面に布陣した。五番大隊一番小隊長河野主一郎は、山鹿本営へおもむき、野村忍介(おしすけ)らに現状を告げ、官軍攻撃のため三個小隊の派遣を要請した。
 田原坂の敗兵十余名が向坂で防戦したが、豪雨で弾薬が湿り発砲不能になること三度に及んだ。彼らのうちには川村甫介(ほすけ)、能勢弥九郎ら名の知られた小隊長がいた。
 二人はいう。
「俺(おい)どまこの地に負けりゃ、どの面さげて他の隊長どんと会えるかよ。そいよかここで諸君とともに死のうじゃなかか」
 兵士は皆、このうえ苦戦を重ねるよりも死んだほうがいいと、激しい感情につき動かされ語りあう。
「西郷どんについて東京の桜を見るは夢でごあんしたな。こんうえは早々にこの世を退(の)きもんそ」
 川村、能勢はいう。
「しかしこげな人数で斬りこんでも仕様んなか。しばらく応援を待たにゃならん」
 彼らが乏しい銃弾を放ち、官軍と銃火を交えていると、川村は狙撃を受けて死んだ。将兵は涙をふるって戦う。
 正午を過ぎたとき、薩軍中島健彦、貴島清の二将が敗兵十数名を伴いあらわれ、味方の総数は三十余名となった。
 薩軍は田原坂から敗走したとき、山砲三門、臼砲一座、小銃百余挺を奪っていた。薩将中島、貴島は向坂の左右に伏せた。三番大隊九番中隊長小隊長小倉壮九郎、一番大隊七番中隊長北郷万兵衛、三番大隊六番中隊長町田権左衛門が手兵を率い集合した。
 全隊を正面と側面に分ち、小銃三発の合図で敵中へ斬りこむことにした。貴島清は命令した。
 午後四時、小銃三発の号砲とともに左右正面から抜刀突撃した。町田は絶叫した。
「全軍の勝敗はこの一挙にかかったど」
 町田は獅子奮迅のはたらきをし、大喝一声敵中へ躍りこみ縦横に斬りまくる。
 たちまち二十数人の敵を切り倒した彼は、ついに銃撃を受けて倒れた。貴島清は十七人を斬殺し、中島は七人を斬った。能勢、小倉、北郷もそれぞれ数名を斬る。
 官軍は隊形を乱し、先をあらそい逃走してゆく。薩軍は植木まで追撃したが日没となり堡塁を築き守備態勢に入った。薩軍は田原坂の敗兵、山鹿、木留からの援兵が集まり兵数は一大隊に達した。
 一時間ほどの白兵戦で官軍死傷者四百二十一名、失踪者二十一名、薩軍死傷者十八名であった。薩軍は小銃、大砲、糧食、時計、ラッパなどをおびただしく奪った。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府