連載
「まぼろしの維新」
第十三章 手負い獅子 津本 陽 Yo Tsumoto

 田原坂の激戦のあと、強大な戦力をそなえた官軍第一、第二旅団を薩軍、熊本隊が植木、木留の一帯でくいとめようと肉弾戦をかさねているとき、軍艦が別働第二旅団を八代(やつしろ)に上陸させていた。彼らは南方から薩軍を襲うのである。
 八代に集結していた別働第二旅団は三月十九日に日奈久(ひなぐ)に上陸した。高島鞆之助(とものすけ)大佐、黒木為禎(ためもと)中佐の第二連隊と警視隊であった。日奈久の薩軍の戦況は悪化するばかりで、後退をつづけるうちに損害をかさね、四月十日を過ぎた頃の兵力は千五百名から三百名に激減していた。
 四月七日、薩軍五番大隊医師今給黎(いまきゅうれ)佐之助が午前十一時に御船(みふね)町に後退したばかりの薩軍本営に、書状で報告した。現代文でしるす。
「私は昨六日、木山を午前二時に出立し、川尻まできたところ、御船町の茂平という人が甲佐にいる敵兵百五十人ほどが「みどり川」を渡り、朝田に出発するのを見うけたといったので、ご報告いたします」
 この連絡をうけた熊本本営の村田新八は、御船本営から偵察者を出し、八代から行動する攻撃軍の情況を探索させようとした。
「八代山手の官軍の動静が、まったく分らないので、貴地から腕ききの間諜を派遣され、小川より南方の情況が分りしだいお知らせ下さい。辺見十郎太が鹿児島へ募集に出かけた増援軍は、宮の原までは着いている様子ですが、確報を渇望していますのでよろしく」
 薩軍三個小隊が日奈久海岸の防衛に当たっていたが、眼前に七隻の軍艦があらわれ数千の官軍が上陸したので仰天した。
「こやいけん、とても相手にゃならん」
 薩軍警備隊は、熊本本営に伝令を走らせ情況を急報した。本営は三個中隊、狙撃二番隊、第二砲隊分遣隊を急行させたが、現地に着いてみると官軍は氷川(ひかわ)の河畔に進出し、銃砲声が天地を震わせていた。
「もっと人数を出さにゃいかん」
 薩軍は熊本から十二個中隊、二番砲隊、千五百名をただちに援軍として送った。全軍を指揮するのは剽悍(ひょうかん)の名が知れわたった永山弥一郎であった。
 だが、官軍の総兵力は陸軍少将山田顕義(あきよし)の率いる別働第二旅団が八代に進出し、兵力は四千名に達した。
 薩軍は小川の山上に二門の四斤山砲を据え、必死の反撃をつづけるが、アームストロング砲、ガットリング砲を咆哮(ほうこう)させる官軍の火力には遠く及ばない。
 四月十二日午前三時半、官軍別働第一旅団は宮地を出発し緑川を渡った。同時に辺場山(へばやま)、御船、犬塚山へ大部隊が前進した。
 南から熊本を目指す衝背軍四個旅団がむかう先に布陣している薩軍はわずかに三百余人であった。
 犬塚山で激戦が展開されたのは午前五時半であった。辺場山にむかった十個中隊は薩軍陣地の左右から襲いかかる。別働第三旅団は砲二門の援護射撃のもと、権現山から突撃する。
 薩軍は五時間の激闘のあげく弾薬は尽きはて、援軍はまだ到着しない。陣地の左右両翼は崩れ去ったが、正面陣地を守る岩切、橋口の両小隊と二番砲隊は死力をふるい抵抗する。だが弾薬を最後の一発まで使いつくすと、白刃をふりかざし血路をひらき退却していった。
 薩軍司令永山弥一郎は街路に出て酒樽に腰をかけ、大刀を膝もとに引きよせするどい眼光で戦況を注視していた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府