連載
「まぼろしの維新」
第十三章 手負い獅子 津本 陽 Yo Tsumoto

 兵士たちがしばしば走ってきて、もはや支えられる情況ではないと身を揉んでいう。死を眼前にした彼らは、永山の言葉をただひとつの頼りとしているのである。永山は吐きすてるようにいう。
「臆病者(やっせんぼ)が。俺(おい)どま今日はここで死ぬ。ほかに何の考えもなか」
 兵士たちは絶望を意識に刻みつけ、去ってゆく。
 熊本隊本営斥候宗像(むなかた)景雄が永山の傍にいた。彼が傍の丘へ駆けあがり敵状を見ると、視界のすべては敵軍で埋まっている。彼は戻ってきて永山に報告した。
 永山は聞いた。
「俺の兵どもは、どけおっか」
 彼は宗像と御船川を渡り見渡すと、遠方にまばらに逃れ走る薩兵の姿が見え、陣中にとどまるものは一人も見当らない。
 周囲の人影はすべて敵で、永山らを狙撃する銃弾が身近に唸りをあげるばかりである。
 永山は歯ぎしりをして宗像に告げた。
「俺はこの大敗を取った。何の面目あって同僚の顔を見られもんそ。一死をもって罪を謝したか。お前(は)んらは早う逃げて、こん有様を本営に報告してくいやんせ」
 永山は道端の民家へ入ろうとした。
 彼の友人である大小荷駄(おおこにだ/輜重〈しちょう〉隊)の税所(さいしょ)小一郎がきた。宗像は税所に告げた。
「永山どんはあそこで死ぬつもりじゃ」
 税所はいった。
「よし、俺がとめてくっど」
 永山をひき戻そうとした税所は、数回言葉を交わしたのち宗像に呼びかけた。
「俺も永山とともにけ死んど。お前んさあ生きて帰れ」
 二人はともに民家へ入り老婆がいたので、持っていた数百円を与えていった。
「こん家を俺どもに売れ」
 彼らは家に火を放ち、刺し違えて死んだ。
 
 熊本南方の薩軍は戦力に大差のある衝背軍に圧倒され苦戦を続けていたが、植木の戦線では善戦していた。
 四月八日、官軍が植木方面に攻撃を集中したが、薩軍は撃退して近づけなかった。当日の官軍死傷者は三百五十人、消費した銃弾五十四万九千発で、第八連隊には一個中隊で死傷しなかった兵が三人残ったのみという、恐るべき損害をうけた。
 熊本城内では食糧、弾薬の備蓄量が欠乏してきていた。熊本城が陥落すれば、全国諸県の士族が蜂起する危険は目前に切迫する。四月十三日夜、西郷隆盛は熊本隊嚮導(きょうどう)の案内をうけ、二本木本営を出て東方の木山へ移動した。
 薩軍の抵抗の余力は肉弾攻撃のみであった。弾盒(だんごう)に入れた銃弾は二、三発。官軍の弾雨をついて抜刀攻撃をおこない、切り伏せた敵の弾薬を奪い取って射撃を続けた。
 官軍軍艦は海上から薩軍堡塁を発見すると、巨砲を唸らせ粉砕した。隆盛のいる熊本二本木本営は陥落を免れることが困難であった。
 隆盛は官軍に戦意をいままで抱いたことがない。東上して岩倉、大久保ら政府を運営する首脳者に会い、彼らのおこなう政治が正道を踏まず、秕政(ひせい)であることを詰問し方針を変更させることにあった。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府