連載
「まぼろしの維新」
第十三章 手負い獅子 津本 陽 Yo Tsumoto

 このように薩軍は各地の戦闘では官軍を制圧していたが、弾薬不足を補う手段がなかった。熊本隊佐々小隊長は薩軍、熊本隊が約千三百人で御船を囲む左翼の駒返(こまがえし)峠から、右翼は飯田山から健軍(たけみや)までつらねる防衛線を新設したので、四月十八日に全戦線の巡視に出かけた。
 佐々小隊は甲佐街道から盗人塚(ぬすっとづか)の守備を命じられている。彼は守備を命ぜられた地域の数十カ所に塁壁を構築させた。
 佐々が傍の山の名を聞くと、村人は答えた。
「盗人塚ですたい」
 嫌な名だと思いつつ隣の山の名を聞く。
「あれは駒返嶺(みね)たい」
「あの山の名は」
 官軍が攻撃してくる方角の山は、白旗(しらはた)山であった。
 佐々は古来の名将たちは戦場の地名によって勝敗の吉凶を卜(ぼく)し、不吉な地名の場所では戦わなかった前例を思いだし、ここで一戦すれば大敗するかも知れないと胸中をゆさぶられた。
 佐々らが巡視している間に大津を守備している薩将野村忍介と別府九郎が木山本営を訪ね、桐野と今後の戦略方針につき語りあった。野村たちはいう。
「いまや我らは熊本で大敗してこん田舎に逃げこみもした。俺どもは今後の敵情をこげんように察しもす。
 彼(あい)どもはわが軍が動かんようにおさえつけ、海路鹿児島へ出向き、俺どもの弾薬全般の道と募兵の道を断ち切ったのち、人吉のほうから攻め寄せ、熊本からと挟み撃ちにいたしもそ。
 いまのうちにこの戦法に応じる備えをしておかんと、まえに八代に上陸しよった敵を軽んじてうしろを突かれ、熊本城を棄ててしもうたように、わが軍の進退はきわまりもんそ。永山どんのごたるむごい最後はふたたび見とうはなか。
 敵がいまだ動かぬうちに、七、八個中隊を鹿児島へ走らせ、地元の守備をきびしく、根拠を固めてのち、わが全軍は大挙人吉から鹿児島へ戻りゃよかんそ。
 そうすりゃ戦えば必ず勝ち、兵の意気さかんなること火焔のごとくなるに違いなか。これがもし敵に先んぜられ、鹿児島を取られりゃ、臍(ほぞ)を噛んだところで仕様もなか。鹿児島を押さえるはいまでごあんど。
 古人もいうちょいもす。先んじて戦場で敵を待つ者と、遅れて戦場に到着して戦におもむくものをくらべてみよ。労と機は失うべからざるものであると」
 桐野は答えた。
「俺もそげなこつば思うたこともあっが、鹿児島にゃ桂四郎(久武)がおっど。守備はかたか。気遣いせんでよか。遠か故郷へ兵を帰すよりゃ、地元の人数を使うほうが金もいらん」
 野村が答えた。
「鹿児島については、お前(は)んのいわるっ通りといたしもそ。いまひとついうこつがごわす。この大津近辺の土地は広く平(ひら)とうて守りにくか。それよか全軍をあげて二重峠を破り、豊後日田に入り、おおいに敵を攪乱すりゃ官軍は対応に疲れ、きっとわれに利ありと見申す」
 桐野は相手にしなかった。
「それもよかんそ。したが一度快勝して敵を皆殺しにしたか。しばらく待ってくいやんせ」
 野村たちは言葉を失い、大津の宿営へ戻った。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府