連載
「まぼろしの維新」
第十三章 手負い獅子 津本 陽 Yo Tsumoto

 四月十八日から十九日にかけて、御船町に着陣している熊本隊陣営に、木山本営から大小荷駄で諸隊の弾薬が続々と運ばれてきた。佐々はいった。
「御船に陣を置くのは危うい。三面が山で、前方の一面だけが川に向こうとります。戦がはじまりゃ、敵の銃砲は町家のなかへ届きます。
 敵の砲火に押され退却する時は、一物(いちもつ)も持ち出せんたい」
 熊本隊は御船町に布陣せず通過して、南方の甲佐、堅志田(かたしだ)を攻撃する作戦をとろうとしていた。
 熊本隊隊長池辺はこの方針を桐野利秋に献策するため、木山本営に戻った。
 池辺の帰還を待つうちに官軍が混雑して守備位置も決めていない薩軍、熊本隊を攻撃してくれば全滅させられかねない。
 佐々は熊本隊幹部に決断をうながす。
「ここにおりゃ、皆殺しにされかねん。甲佐へ押し寄せるか、退却して飯田山の麓を守るか。それもはばかるなら、荷駄弾薬を残らず飯田山麓に移さにゃいかんぞ」
 佐々は応じる者がいなかったので、自隊の荷をすべて飯田山麓に移し、戦闘準備をおこなった。
 熊本隊は木山本営に三度急使を走らせ、許可を得ようとした。
「御船は攻めるに容易で守るに不便の地である。戦がはじまれば弾丸は陣中に雨下して、敗北すれば輜重弾薬は持ち去ることができない。このため近くして半里以上、遠くして一里以内の地に移して置きたい」
 本営は熊本隊の要望を聞きいれなかった。
「死をもって陣所を守りゃ、輜重弾薬を移すことはなか」
 翌四月二十日、戦況は佐々らの憂慮した通りに展開していった。その日の夜午前三時、官軍山田少将は別働第二旅団、別働第三旅団を御船に突入させ、別働第一旅団を予備として同行させつつ、御船を防衛する薩軍、熊本隊に襲いかかった。
 官軍は山砲十門を発射し、御船の街並みには火柱があいついで立つ。全軍を三部隊に分け左翼軍は緑川を渡り、犬塚山へ進む。中央、右翼軍は緑川西岸から辺場山を攻撃する。
 三個旅団の歩兵は三縦隊となり、砲兵隊は妙見坂に砲撃を集中し、一隊は雀ヶ原、城山の薩軍を攻撃する。また一隊は駒返嶺の高地、盗人塚の熊本隊を粉砕しようと襲いかかってきた。その数は幾千人とも知れない。
 銃砲声、喊声(かんせい)が天地を震わせ激戦が数時間続くうち、官軍の鋭鋒をさえぎる左翼熊本隊、右翼薩軍は弾薬が尽き、午前十時に一瞬に崩れ逃げ走った。
「それ今じゃ、皆殺しとせい」
 官軍は喚(わめ)きたて急追撃して薩軍の左右から雨のように射撃を加え、薩軍は進退きわまり死傷者続出し、御船川を渡り潰走した。
 退却する径路に官軍狙撃兵が伏せていて、薩軍は負傷者、輜重を捨てざるをえない。
 官軍は河岸に姿をあらわし狙撃する様子が、水上に浮かぶ鴎を撃つような有様であった。追いつめられた薩兵たちは水深を計りそこねて溺れ、あるいは身を沈める余裕がなく、立とうとして射殺されるものが続出した。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府