連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 四月二十日の夜明けがたから夕刻まで続いた御船町の激戦で熊本隊は戦死者八十人、負傷者八十人の深刻な打撃をうけた。
 戦死した熊本隊一番隊半隊長真鍋慎十郎は同隊軍監古閑(こが)俊雄の親友であった。古閑は後日降伏して広島監獄に収監され、明治十一年五月に獄死した。
 彼は獄中で西南の役の記憶を記述した。真鍋についての回想がそのなかに述べられている。真鍋の最後についての叙述を現代文で記す。
「真鍋は熊本藩の旧臣で英才として知られていた。御船決戦の前夜、隊の先頭に立ち奮戦して官軍を悩ませたが、その夜同隊の朋輩と酒をくみかわし語った。
“戦国時代の歴史を観察すると、戦場を駆けまわった英雄豪傑の生涯は実にあわれな哀しいものである。昨夜は馬上に剣槍を操り、強者の名をとどろかせるが、今朝は戦死して野草に宿る一滴の露と消えてしまう。
 また朝に高楼を林立させていた城郭も、夕刻には黒煙に包まれた焦土となる。
 思えば俺たちも同様だ。いま酒盃を持つ俺たちも、明日は何者の手にかかり死ぬかわからない。今年はあっても来年はめぐってこない。今日生きていても明日は死ぬ。いま酒を飲み、愉快な思いを楽しんでおけ”
 彼はその言葉の通り、翌日銃撃されて死んだ」
 この日戦死した小荷駄隊の夫卒である元力士熊山喜太郎は、終始陣頭で勇敢に戦い、退却の際は弾薬数箱と負傷兵を背負い走ったが敵弾が腹部に命中した。いったん倒れたが起きあがろうとして頭に被弾、戦死した。
 佐々友房らは戦場にとどまり全滅するまで戦うべきであると主張したが古閑らがとめて、やむなく飯田山から田代へ退却した。
 池辺吉十郎熊本隊隊長も機密書類を佐々らに托(たく)し、田代で官軍と最後の決戦をおこなおうとしたが、戦場に踏みとどまっていた薩軍部隊が矢部に退却していったので、やむなく後退した。佐々は戦死者追悼の歌をつくった。
   今日よりはいかにかはせん春秋の
        花も紅葉も誰と眺めん
 古閑も追悼歌をつくった。弥生(やよい)の季節で花がさかんであったので、
    黄泉路(よみじ)にも花や咲くらん今ごろは
        先立つ人の見ていかましを
 真鍋半隊長と親友であった古閑は、さらにつぎの一首をたむけその死を惜しんだ。
    なつかしき還(かえ)らぬ君が矢竹にて
       入りにし山の弓張の月
 戦死者二十六名を出した九番隊の小隊長深野一三(いちぞう)は悲嘆に堪えられない胸中を歌に残した。
  咲きしより心筑紫の山桜
     散りにし花の跡も残らで



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府