連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 四月二十一日、熊本隊は本営と諸隊を矢部男成(おなり)村に移転し、生き残った将兵を五個中隊に編成した。佐々友房は三番中隊長、古閑俊雄は同隊幹事となった。
 薩軍は御船陥落のあと木山、建軍(たけみや)、大津(おおづ)などに展開していた兵を矢部に後退させ、本営を浜町に置いて、桐野利秋総督は全薩軍を十二個大隊に編成した。
 この日、御船での戦死者の招魂祭をおこなう。熊本隊隊長池辺は桐野に会い、今後の作戦につき質問した。
「これより再度熊本へ攻め寄せるか、退いて人吉(ひとよし)にたてこもるか、ただちにお聞かせ下さい。いまの戦況では、熊本へむかえば全滅あるのみですたい」
 桐野はこれまでの強気の方針をなげうった。
「ここで敵を迎え撃っても、俺(おい)どもの兵は一万余り、熊本隊は六百じゃ。矢部じゃ敵の大軍を支える手だてはなか。輜重(しちょう)、弾薬、病院の備えもない有様じゃ。撃てる大砲は一門しかなかじゃろ。
 こんうえはいったん人吉に本営を置き、熊本へふたたび攻め入るか、薩摩、日向、大隅を固めたのち再挙すっかを決めりゃよかんそ」
 薩軍、熊本隊は全軍那須越(ごえ)、胡麻越の両道をとって人吉へ退却することに決まった。
 矢部から人吉までの行程は四日間を要する。食糧を調達できない深山幽谷を通過するので、全軍は餅と焼米を身につけた。
 翌二十三日午後一時、熊本隊全軍が矢部を離れ、夕刻に馬見原(まみはら)に到着した。翌朝出発し、昼頃に日向と肥後の境界にある国見岳に到着した。坂道はおよそ三里ほど続き、道中は狭く糸のようにもつれ、片側は数百尺とも知れない断崖であった。
 岩はすべて苔(こけ)に覆われ、見たこともない鳥が啼いている。猿、鹿の啼声が聞こえるばかりで、人声は絶えてなかった。
 下り坂になれば大木が陽をさえぎり頭上を覆い、春だというのに黄葉が多く、なんともいえない寂寞感がただよう。
 古閑俊雄は一首を詠じた。
   鳥の音(ね)も世に聞きなれぬ山深み
     春もなお散る木の葉ありける
 坂を下ってゆくと澄んだ泉が眼前を流れ、身を洗うと心地よい。この頃は弾丸砲煙のなかを駆けまわっていたので、こんな仙境にくると、景色になんともいえない興趣を味わえる。
 だがこの日はしきりに雨が降り、古閑たちは泥に足をとられ行き悩み、夕刻に胡麻山の村を過ぎ、八重というところで一泊した。
 そこは人家が三戸あるだけで、住人は人情が厚く、言葉づかい、住まいの閑雅高尚なことは古代の仙人とはこのようなものではないかと思うほどであった。
 翌二十五日は晴れわたっていた。古閑は記す。
「山路は前日と同様、白雲が足下につらなり、鳥が幾度も胯下(またした)をくぐりぬけ、高峯、清流のなかにわが身は仙人となって送迎の雲に乗るかと思えば、たちまち幾千丈の谷が足もとにつらなりあらわれる。頭上に緑樹が陰々とさしかわし、数里の間日光を見ない。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府