連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 痩せた藤が縄のようによじれ、わが足音は閻魔が叱りつけるように響きわたる。四月二十五日の昼間に椎葉山の麓で輜重隊と出会い、飯をむさぼり食い飢えを満たした。
 矢部を出発してのち二日間を、重みに堪えかねて食料を捨て餅二個で過ごした隊士たちは、ようやく生色をとりもどした。椎葉山は山容がほかの山とはまったく違っていた」
 麓には球磨川(くまがわ)の源流が、各所に泉を湧かし、水を噴きあげている。
 雲に届くかと思える老松の聳える合間に月がときたま顔を出す。うねりつづく坂道には朽木が大蛇のように横たわっている。渓流に突きだす岩塊は虎がうずくまっているようだと古閑は思った。
 村人が用いる釣橋を渡ると林中に山桜が咲き誇っている。閑雅な風景はなんともいえない味わいがあった。
 佐々は一首を詠じた。
   おもいきや今日九重(ここのえ/宮中)の道ならで
     かかる山路に花を見んとは
 古閑もそれに応じた。
   鶯もなど白雲の深山路(みやまじ)に
     春さびしくも散る桜かな
 彼らは鹿の遊ぶ竹林を過ぎ、夕刻に胡麻山に着き、木樵の小屋に一泊した。
 この日、古閑は釣橋を渡り、閑雅な風景を記したが、佐々は『戦袍(せんぽう)日記』にこの経験が恐怖すべきものであったことを記している。
「昼頃に椎葉村に着いた。人家は十数戸である。昼飯を食いまた山道を一里ほど進んだところに釣橋があり、これを渡った。太い葛数百本で橋を編み、両端を岸の大樹の梢に結びつけている。
 橋は数百間(けん)と長く、幅は二尺ほどであるが橋下から川面(かわも)までは数百間、激流が巨石を突き転ばす音が轟然と雷のようで、ひと目見ただけで、全身が戦慄させられる恐ろしさである。橋の半ばまで出てみると、動揺はさらにすさまじい。
 足どりをゆるめるとますます揺れるので、隊士らは皆四つん這いになって渡りおえた」
 この記述は古閑のそれとは違い、釣橋を渡った心境を正確にとらえている。
 佐々たちは薄暮風雨のなかようやく泊る小屋を見つけた。彼らの宿主は夕食に鹿肉を支度しもてなしてくれた。
 翌二十六日も風雨が烈しかった。隊士たちは替え草鞋(わらんじ)を三足ずつ支度していたが、すべてをつかいつぶし、はだしで泥濘のなかを歩いた。
 この日は民家を見つけ宿をとろうとすると、先行した将兵が詰めあって泊っている状態で、あちこちたずね歩くうち、人家が数多い小崎村という集落に辿りついた。
 小崎の村長は昔の小崎城主で、鹿肉料理と焼酎でもてなしてくれた。
 翌二十七日は猛烈な風雨が続いていたが、夜明けとともに江代(えしろ)へむかい出発した。道は嶮しい坂がつづき一里半ほど縫うように登るうち、頂上に到着した。
 足もとから黒雲が湧きおこり、風雨が軍服を裂かんばかりに吹きあげてきた。球磨郡が見渡せる高所であるが、視野は雲海に閉ざされていた。
 熊本隊は元屋敷村を通って江代村に着いた。途中の道中は通行する人馬にこねかえされ、峠附近には雪がうずたかく積もり、足指を凍傷で失う兵が多かった。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府