連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 江代村の附近は兵たちが充満していて、宿陣の民家をみつけるのに苦労をかさね、汚れた土間に身動きもできないほど押しあって寝ることになった。
 四月二十九日、熊本隊は人吉から六里手前の深田村に着陣した。そこは山中の寒村とは眺めが変り、民家が数十戸あって、隊士らはようやく難行軍が終ったことをよろこんだ。
 四月三十日、熊本隊全軍が隊伍をととのえ、人吉城下に入った。城下の大手通の両側に人垣がつらなり、住民が歓声をあげ手を振って迎えてくれた。
 佐々友房はこの日の日記に述べる。現代文で記す。
「四月三十日朝、全隊粛々として人吉城に入った。道は歓迎してくれる群衆が、人垣をつくっていた。陣所は城下の西間村に本営以下を置く。
 地元の人吉隊が味方となり、薩軍、熊本隊の輜重、兵粮をすべて補給してくれた。佐々、古閑らは日記に数日間の休養を、温泉宿、料理屋が軒をつらねた小楽園で過ごせた楽しさを記している。
 隊士らは旅装を解くといっせいに歓喜の声をあげ、生きのびたことをよろこびあう。化け物の棲家のような深山のなかを泥まみれで過ぎ、きらびやかに飾りたてた温泉郷に着いたのだから歓喜するのは当然であった。
 五月一日、熊本隊は汚れ破れた中隊旗、指揮旗、本営旗を新調したのち、整列して市中を行進し、青井阿蘇神社に参詣。神前で祭典をおこなう」
 こののち東京をめざし政府軍と中原で争う勢力はすでになく、恥ずかしいかぎりであるが数日の閑暇を楽しむのを、よろこぶばかりであった。
 熊本隊は神楽を奏し、戦勝を祈る舞楽の式典をおこなう。正午に神酒を下賜(かし)され、全軍が一度に鬨(とき)の声をあげ、天地が震動せんばかりであった。
 人吉で休暇をとるうち、古閑が佐々友房、深野一三、高島義恭ら熊本隊同志十二人を誘った。
「この先、明日も計り知れん戦場に出で立つ俺どもじゃけん、皆の形見として写真をとってそれぞれの肌身につけようたい」
 このとき撮影した壮士のうち小隊長鳥居数恵は矢筈嶽、中隊長北村盛純は横川で戦死。参謀友成正雄は捕虜となり、斬られた。
 五月三日、官軍が水俣から鬼神峠を越え、山野村に迫っているとの薩軍斥候の情報がもたらされた。
 薩軍と熊本隊が官軍と最後の一戦を交えるつもりの鹿児島を、すでに占領している官軍は、城山にさかんに築塁しているという。
 江代本営の桐野利秋は、全軍九大隊のうち奇兵隊に豊後攻撃を命じ、雷撃隊を率いる辺見十郎太には鹿児島と熊本の県境大口(おおくち)を突破して南下させ、鵬翼(ほうよく)隊は大野から佐敷(さしき)への転進を命じた。
 薩軍は熊本城攻囲、田原坂攻防の激戦を重ねるうち、私学校党の鉄の団結で野戦に猛威をふるい、戦線を支えてきた頑強な士族たちのほとんどが死傷者として戦線から姿を消した。
 全軍の持つ火砲は四斤山砲一門、砲弾は数発を余すのみで、慓悍(ひょうかん)な辺見十郎太が官軍の大部隊に夜襲をしかけ、敵の野砲、山砲を奪取して帰り、敵陣に猛砲撃を加え溜飲を下げるが、弾薬が尽きれば捨て去るしかない。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府