連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 五月四日、薩軍本営が池辺熊本隊隊長に、山野村への出兵を依頼した。池辺は熊本隊の二番、三番、四番の三個中隊を山野から大口へ先行している薩軍のあとを追わせることにした。五番隊は熊本隊本営警備につく。
 三個中隊は四日朝、人吉を進発、球磨川沿いの一勝地(いっしょうち)という山村で泊った。前途の祝坂付近で戦闘があり、薩軍が官軍に急襲され敗北して潰走したという情報が入ったので、進軍を停止し、祝坂へ斥候を走らせたのである。斥候は戻ってきて報告した。
「祝坂では敵との小競りあいはあいもしたが、大野には本隊がおいもす。ばってん敵の別働隊が山野から大口へ乱入しようと動いとるけん、貴公らがこれを追い払うてくれたらありがたいと隊長どんの頼みですたい」
 三個中隊は五日午前七時、前進をはじめたが大雨となった。
 官軍は軍艦の物資を集積している八代を基地として、佐敷から水俣に進出し、先鋒部隊は山野に接近していた。
 熊本隊三個中隊は球磨川支流の那良川沿いに五里余りを辿り、山野との中間地点である、人家が七、八軒しかない塔ノ原村で停止した。官軍が大野へ進撃しているとの情報が続々と届いたからである。
 古閑俊雄『戦袍日記』に当日の熊本隊の行軍について記している。
「全隊は塔ノ原を出発し、間道伝いに山野村へむかった。老樹は生い茂り、三里の道程は日光を見なかった。地面は苔に埋まり、狩人がたまに通行するだけの道である。
 日暮れどきに見通しのいい場所に到着し、夜がふけるのを待った。雨があがり満天の星がかがやき、ときどき風が樹林の枝を鳴らす。いよいよ山野村へむかうことになった。
 一灯もともしていないので、全隊が山野村へむかっているのだが、各隊はいつのまにか方向を誤り、隊伍が乱れてきた。わが隊は先頭であったが河原に怪しい提灯が多数動きまわっているのが見えた。
 斥候は偵察して彼らの話し声が九州訛ではないというので足音を盗み接近すると、敵は熊本隊の人馬の影を発見し、合言葉をかけてきた。通じない。敵勢らしい密集部隊は提灯を消し、去っていった」
 熊本隊は敵兵力もわからないので戦うことなく、塔ノ原村へ引き返した。
 五月六日は雨がやんだ。塔ノ原の熊本隊は幾度も斥候を出し、官軍の動静を偵察した。官軍別働隊第三旅団の兵五百人が、水俣から山野村に進出し、牛尾川を渡河して大口を攻撃しようとしていた。
 熊本隊は敵状が把握できないので、斥候三名を山野村へ派遣したが、深山を辿るうち官軍の戦線に入りこみ、猛烈な射撃をうけ山野川に飛びこみ林間を這い、塔ノ原へ帰ったのは、夜明けがたであった。
 牛尾川を渡ろうとした官軍に、附近にいた薩軍が攻撃をしかけたが、猛烈な反撃をうけるうちに、弾薬をつかいはたし、敵中を突破退却した。
 翌五月七日、山野村の官軍に夜襲をしかけ、大口の薩軍と行動を共にするため、塔ノ原の熊本隊三個中隊は午後三時に行動をおこし、間道を伝い山野へむかったが、昼なお暗い坂道で佐々隊は途中で味方とはぐれた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府