連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 暗黒の前途に灯火がちらつくので様子をうかがうが、敵か否かは声音だけでは聞きとれない。
「思いきって暗号で呼ぼうたい」
 大声で暗号を叫んでみると返事がなく、灯火が消えた。
「敵たい。この辺りは皆敵じゃけん、退け」
 熊本隊は後退し、八日午前九時に塔ノ原村に引き返した。それから夜にかけて村の周囲に塁壁を築いた。官軍が人吉を攻めるため、いつあらわれるかも知れない形勢であった。
 夕刻池辺熊本隊隊長が人吉から、牧芝謙十郎の率いる五番中隊百七十人と同行してきたので、塔ノ原在陣の兵数は五百四十余人となった。
 九日、薩軍参謀が塔ノ原にきて翌日の山野攻撃の軍議をおこなった。十日早朝、辺見十郎太の雷撃隊が大口街道正面から山野村を攻撃するのに、熊本隊は呼応して間道伝いに背後へまわり、はさみ撃ちにして全滅させようというのである。
 将兵は「愉快、愉快」と叫びあう。五月十日の夜明け前、諸隊はあいついで塔ノ原村を進発した。辺見の雷撃隊は大口街道正面、熊本協同隊は抜刀して間道をとり、官軍の右翼から台場へ殺到した。
 薩軍が山野村に放火し、銃撃すると官軍はうろたえ、小河内山へ潰走した。熊本四個中隊も間道を出て銃撃を浴びせる。官軍は惨敗して鬼神山の峠を越え、水俣へ敗走した。
 山野村の戦闘に勝った薩軍、熊本隊は附近の村落に野宿をした。
 翌十一日、薩軍、熊本隊、熊本協同隊は水俣攻撃に出発した。諸隊は鬼神峠を越え西方をめざし深川村の官軍を攻撃にむかった。途中の道で赤髭で半顔を埋めた薩軍将校が大刀をふりまわし、踊りまわりつつ砲兵を指揮している。
 薩軍には一門しかないはずの大砲を数門ならべ、深川村の敵の塁壁を乱射している。轟音とともに発射すると飛びあがり、「よか、よか」と叫ぶ。佐々は眉をひそめた。
「狂うちょるたいか」
 はじめて見た弾雨をものともせず、奇矯きわまりない行動で眼をひいた薩軍将校は、勇猛のふるまいで知られた辺見十郎太であった。彼は官軍の軍艦が海辺に着岸し、搭載砲数門を陸軍に使わせるため陸揚げしたとき、宵闇にまぎれてそれを奪い、官軍を砲撃して甚大な損害を与えたのである。
 佐々が深川村の高所から情勢を偵察すると、左手の大鷹山から深川本道に布陣している薩軍に猛射を浴びせる数百人の官軍が見えた。佐々は第三中隊を率い、銃を背負い絶壁をよじ登り、敵陣を急襲して官軍を敗走させたが、大鷹山に峯をつらねる高い山嶺から官軍別働第三旅団が、俯瞰射撃を加えてくるので、死傷者が続出し、弾薬、食糧が尽きて退却寸前に追いやられたが、友軍の加勢によりようやく危機を切り抜けた。
 熊本隊の五個中隊は土砂降りの豪雨のなかで深川村の台場を死守し、苦戦をくりかえした。人吉で新調した中隊旗には二十カ所前後に弾丸の穴があき、風雨に打たれ裂けて破れた。
 五月十二日から十三日にかけては終日豪雨であったので、熊本三番中隊は大鷹山と谷をひとつ境につながる矢代山の胸壁にとりつき、峯伝いに押し寄せてくる官軍と戦った。
 雨足がつよまってくるばかりなので、旧式ライフル銃を持つ兵は装填している弾薬が湿ってきて発火しない。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府