連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 三番中隊は弾薬の大半が湿り射撃を継続できなくなった。新式銃を用いる官軍の射撃は激しさを増してきたが、佐々隊の兵士たちの射撃は間遠になり、鬨の声をあげ、寄せてくる敵を威嚇する。佐々は部下に命じた。
「弾丸三発を懐に入れておけ。敵が近づけば俺は突貫を命じ、全員が三発を連射し突っこむちゅうこったい」
 翌十四日、牧芝五番中隊は矢代山から大鷹山へ登り、佐々三番中隊と最前線守備を交替した。三番中隊は死傷者続出する惨憺たる有様で後退したが、五番中隊も戦場に着陣したとき、すでに弾薬が尽きていた。
 官軍はそれを知って一斉射撃をくりかえし、塁壁に襲いかかってきた。五番中隊は抜刀して白兵戦で官軍を撃退しようとするが、官軍は猛烈な援護射撃のもと、疲れきった熊本隊士を谷底へ蹴落し、狙撃兵が一発の無駄玉もなく士卒を射倒す。
 佐々中隊は深川村に後退して一夜を明かし、四番中隊と前線守備を交替し、大鷹山の胸壁に入った。敵の射撃は激烈をきわめ、熊本隊の死傷者はふえるばかりであった。
 銃撃に屈せず薩軍とともに敵中へ斬りこみをくりかえすが、高所からの射撃を受けつづけるので、硝煙たちこめるなか身を隠す場所もなく、反撃をこころみるが、後退せざるをえなくなった。
 五番中隊の隊士杉原堅也が足を撃たれ倒れた。傍にいた藤崎弥太郎という十七歳の隊士が背負い、下山してゆく。
 杉原の巨体を担ぐ少年藤崎は力が尽きかけるが、同志を戦場に残すに忍びず、必死に足を踏ん張り下山した。しかし助力してくれる味方を探し辺りを見まわすうち、二人は狙撃され即死した。
 傍にいた隊士らはその悲惨な最後を見て涙をほとばしらせ悲しんだ。
 翌日は豪雨で、深川村堡塁を守る三番中隊は押し寄せる敵を射撃するが、弾薬が湿り発火しないので、やむをえず白兵戦で官軍に甚大な損害を与えた。だが昼過ぎには負傷を免れ戦う隊士が四十余人という、全滅寸前の状況に追いこまれた。熊本二番、五番の二個中隊が応援に駆けつけてきて、突撃をくりかえし、日暮れまえに官軍のすべてを撃退した。
 その夜、雨の降りしきるなか、佐々は陣中見廻りをするうちにしきりに望郷の念が湧き、筆をとって暗鬱な心中を詩にあらわす。
 「百戦功無く壮志違(たが)う
  露営三月 戎(じゅう)衣湿(うるお)す
  杜鵑(とけん)識(し)らず 征人の意
  夜々漫(みだり)に呼ぶ 帰るに若(し)かずと」
 杜鵑が闇のなかでしきりに啼いている。
 歩哨が雨に濡れつつ、樹の下や岩石の間に黙然と立っているという、憂いのこもった詩であった。
 五月十八日朝、大口への重要な連絡拠点である久木野(くきの)と猪ノ岳に布陣する官軍の攻撃を薩軍に求められた熊本隊は、二番中隊を久木野、三番・四番中隊を猪ノ岳にむかわせた。
 だが敵に覚(さと)られず接近するため、急峻な悪路をとったので、途中で引き返さねばならなくなった。その日、深川本道を確保していた薩軍が午後二時頃から中尾山陣地を出てきた川路利良少将指揮の官軍の急襲をうけ、側面から攻撃してきた別働隊も加わり、意外の状況に対応する間もなく、壊滅した。退路を断たれた薩軍は切腹して崖から飛び下りる士卒が多く、惨憺たる敗戦になった。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府