連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 大砲を失い銃弾が尽きた薩軍は、敵を見通しの悪い地点におびき寄せ、肉迫して刀槍の錆とするのが唯一の戦法であるが、田原坂の死闘以来薩摩兵児(へこ)の手のうちをさんざん味わってきた官兵は、斬りこまれても密集隊形を崩さず、銃剣を隙間もなくつらね、刺突して薩軍らに甚大な損害を与える。
 また絶壁によじ登り、高い場所から集中射撃を加えられると、損害は急増した。官軍は火力においてはるかに劣る薩軍と党薩諸隊に対する巧みな戦法を知ったのである。
 熊本隊三番・四番中隊は左方西南一里に渓谷をへだて、巨峰矢筈嶽をひかえる雉山(きじやま)に布陣していた。雉山の右翼大関山一帯では薩軍の守る大関山の陣地を撃破するため、官軍が連日砲火を浴びせていた。
 五月二十四日熊本隊池辺隊長が、官軍の人吉、大口攻撃の作戦が間もなくはじまると見て、佐々、深野、鳥居ら中隊長をともない、雉山附近を偵察して矢筈嶽の薩軍和銃隊の陣地をたずねた。
 池辺は薩兵らに告げた。
「この山は薩摩と肥後の国境にあり、南には薩摩の出水(いずみ)、北には肥後水俣の眺めが一目(ひとめ)で見渡せ申す。空中に奇岩突出して、珍しき高山ですたい。
 いま望遠鏡で水俣を眺むるに、港のなかに蒸気船一隻がおり、数百の兵が上陸しておる最中たい。あやつらは日を置かずここへかならず来襲しまっしょ。そんときはよき武者振りをお見せたもんせ」

 夏がきたのに汚れ腐った冬服や綿入れを着て、風雨にさらされ割れめの入った刀の鞘をボロ布で縛り、着替えや身のまわりのごみのような品を詰めこんだ布袋を背負った薩軍、熊本隊は、二、三発の銃弾が残っているだけの弾薬盒(ごう)を臍(へそ)の下につけ、死者の頭髪をまじえ編みこんだ草鞋(わらんじ)をはき、磨きたてた小銃を担いでいた。
 夜が明けると今日は最後の決戦だと思いきめ、予期した通りの血の雨のなかで狂ったように争闘して、死んだ友人たちのさまざまの最後の姿を眼裏(まなうら)に刻みつける。
 地獄のような時が過ぎると傍に敵はおらず、自分がまたもや生き残ったことに気がつく。このうえの苦闘から逃れたいと願いつつ、銃火のなかに身を投げだし刀を振りまわし、幾人かの敵を切った記憶はあるが、なぜ武士の面目を果たして死ねなかったのかと落胆する。彼らは喧嘩で袋叩きにあった子供のように、一刻も早く現世を去りたいと自暴自棄になっていた。
 佐々たちは雉山の堡塁に戻り、陣中にあるだけの酒を飲み放歌高吟して酔った。
「輜重隊から酒樽を担いでこい。明日は死ぬるぞ。生きちょってこそ酒も飲める。朝まで蚊にくわれた体を、弾に撃ち抜かれて死ぬはいさましか。今夜のうちに酒をくらって己が死をとむらっちょくばい」
 熊本二個中隊の将士が泥酔して寝こんで間もない、二十五日の夜明けがた、雷のような砲声がとどろきわたった。
 兵士たちは敵襲かとはね起きるが、砲撃をうけているのは西南一里の矢筈嶽であった。薩軍和銃隊は乏しい火力で迎撃していたが、午前中に撃破され四方へ逃走した。
 池辺大隊長が望遠鏡で和銃隊堡塁の辺りを眺めると、五、六百人の官軍が早くも台場の築造をはじめていた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府