連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 池辺はいった。
「あの山を取られりゃ、わが方は南北の進退がむずかしゅうなるたい。敵はまだ頂上には登っちょらんたい。いまのうちに間道伝いに先に天辺(てっぺん)へ登って奴らの後ろを攻めりゃ、下の敵を味方が上から撃つけん楽勝できるばい。三番、四番中隊から一小隊を出して奪い取れ」
 六十名の決死隊がきまり、白鉢巻をする。第四中隊の小隊長高島義恭がくじ引きで隊長となり、日没とともに間道伝いに矢筈嶽へむかった。高島は矢筈嶽に近い薩軍破竹隊の堡塁に斥候数人とともに立ち寄り、敵情を聞こうとしたが、物音を聞きつけた官軍狙撃兵の射撃をうけた。
 高島は股を撃たれる重傷を負い、斥候に担がれ熊本隊本営の病院に入った。彼のあとを受け指揮をとるのは半隊長能勢運雄であった。
 能勢は斥候を破竹隊に派遣して状況を聞かせると、夜襲は失敗するに違いないので中止せよといわれた。
「山は屏風を立てたごたる絶壁ばっかりで、たやすく登れるものではなかごわす。いま敵ははや頂上におり、昨夜から篝火(かがりび)をたてつらね、陣中は昼間のごたる明るさごわす。人数も何百と多数なれば、貴公らが五、六十人で攻め登っても、とても勝つ見込みはなかじゃろ」
 能勢は六十人の夜襲は自殺行為だといわれ、決死隊を率い引き揚げたが、雉山陣営へ帰ると池辺大隊長以下、佐々、深野、鳥居、古閑ら中隊長、小隊長が能勢の報告を聞くとかえって闘志を湧きたたせた。
「今夜山上の堡塁にはたしかに篝火が多いたい。だが人数はせいぜい二、三中隊じゃ。明日になればもっとふえようたい。今夜のうちに夜討ちをしかけて敵を追い払おうばい。敵が逃げりゃあとをつけて、水俣まで取ろうじゃなかか。人数は六十人でよか。敵が崩れりゃまわりの味方が寄ってきて、ちょうどよか人数になろうたい」
 佐々、深野両中隊長が決死隊を率い矢筈嶽へむかった。午前一時に出発した決死隊は星明りのなか、数人ずつ間隔を置き前進する連続斥候法をとりつつ、矢筈嶽山麓に着く。
 そこで佐々、深野が率いる二隊に分かれ、絶壁にとりつき、敵に気づかれず、頂上まで這いあがった。
 全隊は敵塁の間近まで忍び寄り、鬨の声をあげ突撃した。官軍の士官たちは白刃を手に斬りかかってくる。兵士もうろたえず銃剣刺突で猛然と抵抗した。
 彼らは川路少将麾下の警視隊で、田原坂の戦闘にも参加した歴戦の部隊であった。佐々らが岩上に登り連呼する。
「わが隊、先陣したばい」
 官軍のなかから叫び声が返ってくる。
「賊はここにいるぞ」
 空がしらみ、辺りの景色が浮きあがってきた。官兵が叫ぶ。
「敵はすくない。五十ほどだ。それ叩きつぶせ」
 官軍は決死隊に後続部隊がいないのを知ると、頭上の高所から銃撃を集中してきた。
「どうにもならんばい。引揚げじゃ」
 佐々は呼子笛を吹き鳴らし絶壁を転がるように駆け下り、退却した。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府