連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 一時間ほどの乱戦のうちに、斬りこんだ決死隊の死傷者は二十余人、塁壁のなかにいた官軍の損害は、死傷者三十余人であった。
 佐々は雉山堡塁へ戻ってのちにいった。
「これまで三十数回白兵戦に出たが、今度の戦いが一番たい。田原坂の斬りこみもここまでやらなんだばい」
 薩軍の猛虎といわれた雷撃隊隊長辺見十郎太は、熊本決死隊の夜襲敢行を聞くと、呆然としていった。
「あいどもは狂うたんではなかか。そげんこつは無法というものでなかか。俺(おい)はそん激しかふるまいには、おどろかんわけにゃいかん」
 敵陣へ斬りこむ隊士たちは死の恐怖を忘れていた。隊士鳥巣静雄は官兵の群れに斬りこみ一瞬に一人を斬り伏せる。うしろから銃剣で刺そうとした兵をふりかえりざまに銃を奪い頭を殴りつけ、倒したあと正面をむいたとき胸を撃ち抜かれ戦死した。
 獅子奮迅のいきおいで斬りこむ隊士たちは人間のはたらきを超える力を見せた。
 隊士原田明春は突撃をくりかえし、敵数人を倒したが、全身血まみれとなり重傷を負って本営病院へ担ぎこまれた。彼は全身十一カ所に銃弾をうけ、そのうち八カ所は骨が砕けていた。
 隊士松田三十郎は一人を斬り、つぎの敵にむかおうとしたとき、横あいから他の敵に襲われ、左手の指五本を失ったが片手で刀をふるい相手を倒した。
 隊士佐々布達は敵塁へ斬りこみ数人を倒すうち、額を斬られ、流れ出る血が眼に入り、動作が鈍くなるところを左腕に斬りこまれ、踏みとどまろうとして岩角に足をすべらせ、絶壁から墜落した。
 この夜の矢筈嶽襲撃は失敗に終った。人吉では住民を動員して銃弾の製造を急いでいた。各戦線では戦闘をはじめると最初は官軍を圧倒するが、しばらく交戦すれば銃弾が底をつき、突撃しても銃撃と白兵戦をくりかえす。しかし、隙間もない官軍の攻撃に、薩軍、党薩諸隊は劣勢を挽回する手段もなく後退せざるをえなくなった。
 人吉城跡で住民が製造する銃弾は一日に二千二、三百発であった。薩軍、党薩諸隊の人数は一万数千であるので、連日肥薩の地でおこなう戦闘で使う弾薬は数発に過ぎない。火力のつづく間はめざましい勝利を勝ち得ていても、尽きれば、戦場に踏みとどまれなかった。
 野戦病院は満員で至る所に新設されていたが、医師、看護兵がすくなく医薬品も欠乏しているので、猛攻をうけると外科手術を要する負傷者が激増するため、担送中に症状が悪化して命を落す者が多かった。
 官軍は根拠地の八代から人吉へ五箇荘道、五木越道、種山道、万江越道、照岳道、球磨川道、佐敷道の七道をとり、攻撃してきた。
 佐々、深野らは雉山堡塁に戻ったあとしばらく官軍の来攻をうけず、西北の日向海岸を往来する官軍の輜重隊、軍艦の行動を偵察する日を送った。
 雉山は山容が険しく原生林が生い茂り、日が暮れると鹿、猪が篝火に誘われ塁壁の間近に近づき、人影を見ておどろき逃げ走る。モマというこれまで見たこともない大きな猫のような怪獣が、羽根をひろげ飛びまわる。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府