連載
「まぼろしの維新」
第十四章 敗走 津本 陽 Yo Tsumoto

 五月二十七日と三十日、日向細島港にあらわれた軍艦が、周辺の薩軍陣地にしばらく艦砲射撃をしかけたあと去っていった。
「敵はそろそろ押し出してくるとたい。明日か明後日か、日向を突くと見せかけて人吉へ押し入ろうたい」
 佐々たちは八代、水俣に集結している官軍の別働第二、第三旅団が、まもなく人吉総攻撃を開始する支度を急いでいるという諜報を得ていた。総司令官は山田顕義少将である。
 作戦が開始されたのは五月三十日の明けがたであった。八代、水俣から人吉に通じる七つの街道を死守する薩軍は、大砲は一門も備えず、銃弾は各人十発ほどを携えるのみで、敵が進出してくれば損害をかえりみず白刃をふりかざし突撃し、最後の一人が戦死するまで戦う覚悟で最後の戦闘の時を待った。
 官軍の全力をあげての攻撃に、薩軍将兵は必死に応戦したが、火力が消耗したので一日も持ちこたえられず、三十一日早朝、官軍先陣の五個中隊が人吉源内丘の薩軍堡塁を撃破し、午前九時に人吉城を陥れた。
 そのため、神瀬(こうのせ)、佐敷、江代一帯に布陣して戦っていた薩軍四個大隊は陣地を捨て、宮崎へ通じる加久藤峠を越え、日向へむけ潰走していった。
 官軍は人吉に残って戦う人吉隊副総裁犬童治成、軍監滝川俊蔵ら二百八十人、薩軍破竹二番隊満尾勘兵衛以下二百余人に軍使を派遣し、降伏をすすめた。
「貴隊の善戦はおおいに賞するが、弾薬も尽きたいま、抵抗しても命を落すだけだ。われらも無益の殺生は望まぬ。いま降伏すれば相応の待遇で捕虜として受けいれよう」

 犬童、満尾らは官軍の説得をうけいれた。いま死んでもわが命を捨てるにふさわしいはたらきをたてられない。それよりもいったん生きのびて再挙をはかったほうがいいと判断したのである。


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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府