連載
「まぼろしの維新」
第十五章 日向路の雨 津本 陽 Yo Tsumoto

 川路利良は旧薩摩藩足軽隊士であったが隆盛に抜擢され、明治五年に邏卒(らそつ)総長として六千余人の警官を指揮する立場となった。その旧恩をもかえりみず、政府を操縦する実力者大久保利通に従った。
 このため陸軍少将として戦場に出て別働第三旅団三千余を率い実戦にのぞんだが、薩軍の壮士たちは川路を憎悪し、なんとしても殺そうと狙うので、戦線に長く滞在していられなかった。
 だが七月十三日に別仕立ての汽車で新橋停車場に到着した利良は大臣、諸卿、将官連以下諸省の官僚、書記官に至る官僚が延々と停車場につらなり、出迎えられ沿道の警備につらなる巡査の数はどれほどかわからなかった。
 習志野から演習を終えて帰ってきたという新撰旅団の第一大隊は、偶然出会ったとはいうものの宮中までの先導役を果した。
 利良は宮中で氷水をすすめられた後、酒肴でもてなされ大きなみやげの品々を宮内省から賜わった。
 その翌日七月十四日の東京日日新聞には鹿児島県県令として隆盛に協力した大山綱良の記事が載せられている。(現代文で述べる)
「大山綱良は九州臨時裁判所で先月三十日に尋問を受けた。また本月一日は休日であるが、やはり詮議があり、いよいよ判決がいい渡されるとの噂が、長崎でひろまっている」
 十年前の大山は、川路などは眼中になかったが、いまは大官と断罪を待つ囚人に立場が逆転してしまった。

 六月三日から官軍第三旅団と別働第三旅団は大口(おおくち)攻略作戦を開始し、午前三時、風雨をついて大口の北方大関山、国見山の薩軍を攻撃した。堡塁を守る薩軍と熊本協同隊は激戦を展開したが、双方の火力の差はどうにもならない。
 官軍は接戦に移るまえに四斤砲、野戦砲、山砲を絶え間なく撃ちこんでくる。砲弾は空中で破裂するもの、土中に達して爆発するものなど各種で、一度の戦闘で千発近く撃ちこんでくることもしばしばであった。
 薩軍、熊本隊は一門の火砲も備えておらず銃砲撃がはじまると堡塁にひそみ、官軍が攻撃の動きをあらわすとまばらな銃撃で牽制するだけであった。
 六月五日、水俣街道の要害鬼神山を守備する薩軍が官軍別働第三旅団の攻撃をうけ大口へむけ退却した。佐々友房の熊本隊三番中隊と深野一三の四番中隊の守る雉山(きじやま)が敵中にとり残されたので、薩摩街道の要地である六箇所村に後退することにした。
 だが薩軍から連絡が届いた。
「官軍が現在六箇所村を占領しており、薩軍はすでに大口に後退している」
 熊本隊は動揺した。
「はさみ撃ちを受けるたい。俺たちは網に入った魚ちゅうこったい」
 三番中隊監事古閑(こが)俊雄が深野一三にすすめた。
「死地に入って生を得るは兵家の妙算じゃ。官兵は六箇所村にきたばかりで、陣備えができてなかろうばい。奴らの不意を狙うて銃撃して通るのになんの手間がかかろう」
 病臥していた佐々も起きてきて出撃を支持した。
「六箇所村にいこうたい」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府