連載
「まぼろしの維新」
第十五章 日向路の雨 津本 陽 Yo Tsumoto

 熊本隊は六月七日深い朝霧のなか雉山を出発した。六箇所村に着いてみると、何の物音もしない。牛馬の啼声(なきごえ)もまったく聞こえないので村内を調べてみると、官軍はどこにもいなかった。
 全隊は六箇所村を守備することに決め、鬼神山を守る薩軍に連絡の兵を派遣すると、たちまち逃げ帰ってきた。
「味方は弾丸が尽き、鬼神山には一人の薩軍もおらんたい。官軍は街道沿いの家並に火をかけ、追ってきよるばい」
 佐々らは猶予する間もなく大口へ退却していった。
 翌八日、豪雨のなかを大口守備の堡塁に着いた熊本隊の佐々は発熱がつづき落馬したので入院した。深野も乗馬に股を噛まれて重傷を負い、病院で手術を受けた。
 佐々友房が大口病院から退院帰隊したのは、六月十二日であった。
 翌十三日の明けがた、官軍別働第三旅団が襲いかかってきた。池辺吉十郎熊本隊隊長は佐々の三番中隊に命じた。
「貴隊は高熊山を獲(と)れ。ほかの隊はここで戦い勝敗を決せよ」
 佐々の中隊は絶壁を登って山頂に達し、中隊旗を立て、大口盆地で敵と激突する味方の状況を見下ろす。
 官軍がつるべ射ちを浴びせると、熊本隊の将兵が被弾転倒する。四番中隊の小隊長芦村準が敵弾を肩にうけ、刀を杖に小隊の指揮をとるうち、突っこんできた官兵に刺突されて戦死した。
 芦村の弟英五郎は官軍の陸軍少尉試補で将来の栄達を期待されていたが、出兵すると兄の準をはじめ熊本の旧友が薩軍に参加したと知り、「生きて戦功をあげて、何の楽しみがあろうか」といい、田原坂七本(ななもと)の白兵戦で奮戦し命を落していた。
「兄弟ともに現世(うつしよ)から失せしか」
 佐々は動きをとめた芦村に合掌した。
 多くの死傷者を出した激戦が終り、官軍が引き揚げていったこの夜、高熊山山頂で露営する佐々隊の哨兵が走ってきて知らせた。
「松明(たいまつ)が六、七十ほど北から来るたい。敵かも知れん。見てきまっしょ」
 闇中を近づいてくる火光(かこう)が敵か、たしかめるために足音を消して接近すると、五木(いつき)辺りを転戦していた一番中隊を、参謀友成政雄が人吉から率い、退却してきたところであった。
 五個中隊が揃ったので、ともに最後の決戦に臨めると、熊本の壮士らは意気さかんに戦支度をととのえた。
 大口の陣地の右翼、坊主石山(ぼうずいしやま)には薩軍雷撃隊が布陣する。谷をへだてた高熊山は熊本三番・四番中隊。山の左右の丘陵は五番・一番中隊が固める。二番中隊は遊軍として大口町本営の守備に任じた。
 高所に堡塁を築いた中隊は山中に転がっている巨石を数百個取り集めてきて、官軍襲撃の際の反撃に用いることにした。
 六月十四日午前六時、官軍別働第三旅団、第三旅団は薩軍諸隊の守る山野本営、石河内、紫尾山の堡塁を攻撃してきた。
 雷撃隊隊長辺見十郎太は山野を奪われまいと、弾雨のなか馬を敵中へ走らせ白刃をふるった。
「ここを死地と定めよ。逃ぐっ者があれば斬り棄つっ」
 だが火力の相違はどうすることもできず、薩軍は大口へ退却せざるをえなかった。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府